Circle Pacific −7−(キト〜帰途1)

第18日目:1997年1月5日(日)
  夕方、16時頃キトの空港着。ガラパゴスで見た不気味なキューピー人形(笑ってい
 ない)はここまで追いて来た。空港は国際・国内とも隣合わせで両方に
 インフォメーションがあるが、MAPは無し、「街で買え」と言われた。
 TAXIは言い値US$5。交渉して4になるが車乗り込むと$5になった。怒って発車前に
 飛び出し、別の車でUS$4。「地球の迷い方」で一番良さそうな新市街の安宿に直行
 した。もし、部屋がなくても宿が密集している情報が書かれていたので気分は楽。

 [Hotel ピケット]
  幸運にもツインを一人で使わせてくれると言う。$とスークレ(エクアドル通貨S)
 どちらでも払えるのだが、レートがムチャクチャ。
 US$19 or 55000S (闇レートUS$1=3000S計算)
 銀行なら最低US$1=3500S計算なのだが、日曜で開いていないとアルヤン・コビック似
のフロントマン(オーナーかも?以後アルと呼ぶ)はカタコト英語で説明してくれた。
 空港では、3600Sだった。ドルキャッシュだけ手に入れる方に気持ちが固まっていて、
 しょーもないミスをしてしまった。船に長くいて金銭感覚と曜日を勘違いしていた。
 実は、どーゆーわけか金曜日と思いこんでいたのだ。とりあえず、その場は渋々US$で
 支払いシャワーを浴びてから街に出た。スーパーで朝食(水とバナナとパン)を買お
 うと思ったのだ。少し大きな通りに出て3ブロックほど歩くと、銀行がいくつか見え
 EXCHANGEの看板もある。西欧人らしい旅行者も2,3人入って行く。もしや、と思って
 入ってみると日本円、US$含む12ヶ国のCASHをスークレに両替してくれる機械が置い
 て有ったので$5,$20,$20札を換金した。レートはUS$1=3530Sだったが、恩の字だ。
 早速、宿に戻ってアルに文句を言った。最初は”ポルファボール(スペイン語の
 PLEASE)”を使ったがだんだん腹立ってきて、
 「われが銀行開いてない言うたから、$で払ったんや。しょーもないウソつくなや。」
 (アルのあまり理解していないだろう英語で)と半分怒鳴っていた。結局、アルは渋々
 自分の財布からUS$20札2枚を出した。宿の方には自分のスークレを入れたのだろう。
 まあ、結果オーライで約US$7(2泊分差額)を取り返した。

 [Mauntain Sickness 高山病]
  アルとの諍いはあっさり終わり、夕食を食べたかったので安いレストランを聞いた
 。さっきと反対側へ3ブロック先へ進んでいるとやっと開いているお店があった。
 濃い飲むヨーグルトとチョコバーとパンと水を買った。ロイシャイダー似の店主の
 英語は凄く分かり易く、約15語と数字だけのスペイン語での観光に行きづまりを感じ
 てきた自分にとって、ほっとする瞬間だった。ただ、英語が通じるだけで愉快な気分
 になっていた。(経験上こういう精神状態の時は騙され易い)しばらく、話をして
 付近の情報を聞いたり、スペイン語を教えて貰ったりした。
  店を出ると突然地面が大きく揺れた。地震かと思ったが、道に見える範囲で5.6人
 が何事もなく歩いている。1秒後、ようやくなにが起こったのか理解した。
 地面が揺れているのではなく、自分の頭や目が揺れているのだ。
 「う〜〜ん、これが噂に聞く高山病か」
 いつもなら、初体験ものには諸手を挙げて喜ぶ自分だが、今回のケースで喜べたのは
 、最初の1分だけだった。だんだん頭がボアボア痛くなってきて中華料理店で8800S
の堅焼きソバをかっこみ宿に戻った。富士登山の時はなんともなかったが、やっぱり、
 いきなり飛んでくると身体が悲鳴をあげるんだ。コカ茶を探したがそれらしきものは
 メニューにもロイの店にもなかった。
 雨が降ってきた。雲の中にある様な都市・キト。結構寒い。
 はく息が白い。
 しかめっ面して帰ってきた様子を見て
 アルは、寝る真似をして「Good」と言った。
  寝るのが一番!!あんまり疲れてなかったが忠告に従い20時〜寝た。
 

 第19日目:1997年1月6日(月)
 
    朝6時早く目覚めた。車の音もボチボチうるさくなってきて、薄いカーテンから
日の光が差し込んでくる。やることもなく朝食を食う。高地の為、パンパンに膨れた
 カロリーメートも食う。TVはMTVとHTV(地元のラテン音楽専門チャンネル)
とありきたりの朝の視聴者参加型番組だけ。HTVでは、日本人のNORAさんも
 プロモビデオで流れてきた。夜もヒッパレに出てた英語の巧いおばさんだ〜っと思い
 出してチョットうれしい。ぼうんやりした頭痛はすっかり消えていた。

 [空白の一日(FAXの会社と行方不明男)]
 9:00 を待ってFAXの会社へ行く。1/6会社に行く事になっていたのだが、もう、日本
 は夜の9時、エクアドルの通信事情は4年前のタイを思い起こさせた。国際電話の会
社と国際FAXの会社へ行かないと連絡が取れないのだ。民間会社だから、土日は休み。
 昨日、フロントで頼みこんでも”マニアナ(明日)”しか言ってくれなかったのは、
 今から考えるとフロントにとっては当然の事だった。しかも、近くにあったのは、
 FAXの会社だけだった。
   FAXの会社は、ビルの3Fに位置し内装が豪華だった。A4の紙を渡し、料金の説明が
 あり、男が木の小屋の中に隠れてFAXを流す。なんで隠れてFAXしなきゃならないの
か疑問だが、やってることは紙を差し込んで番号押してるだけ、モデム音が流れてく
る。その間、英語をしゃべれる受付嬢は、トラのWIN上でスクリーンセイバーを消し、
CDをかけ、そのラテン音楽に合わせ歌い出した。42秒でも待っている時間は長い。
 会社の二人を観察し終わるとぼんやりと考え事。
 「FAXを流すだけで会社が成り立つ事」に感心し、
 「物価の内外格差がデカいからやなぁ」という結論を出した。
 やっっっと、男が小屋から出てきた。手に送信時間のリストを持って見せてくれた。
 A4サイズ1枚で42秒。料金は1分当15000s(約500円)もした。1分以内は切り上げ
みたいだ。
   結局、エクアドルでこれ以上の連絡は無理だった。実家にも12/31にTELした時
 言い忘れたし、会社へも夜にFAXが着いたおかげで、空白の一日が生まれてしまった。
 この時、実家と会社が大使館へ連絡するとか様子を見ようとか相談していた事を帰国
 してから知ってチョット反省。帰国後初日、先輩や前の部長から「行方不明男」
 なんて茶化されてしまった。もっとも、この時、自分は周りがこんな大騒ぎしていた
 とは夢にも思わず、やれる事(FAX)はやったという満足感でちょっと連絡が遅れた事に
 対する不安を吹き消した感がある。FAXすることが大変だった事が妙な充実感を持た
 してくれたからかもしれない。
   今思うと1/1〜1/5は船上だったのでチリにいた大晦日に最低でも実家に真実を
 話しておくべきだった。500peso(140円)だったので早口で新年の挨拶だけお袋に
 したのだった。1分はしゃべれていた。でも、ストーリーとしては、
 オーバーブッキングで通すつもりだったから、直前にFAXしたかったのだ。
 (自分もお袋もポーカーが弱い、身内から...なんて気を回したのがアダ)

 [キト市内]
   キトは1日しかない。丘に登って、旧市街観光と計画した。アルに行き方を聞くと
 自分もそっちへ行くから待てと言う。5分位で一緒にトラム(タイヤ)乗り場へ行った。
 歩いて10分。乗り方も身振りで教えてくれた。でも、しっかり2人分の乗車券を払わ
された。まあ、リコンファームのTELをさっきタダで掛けさせてくれたし、今回は黙
認。
   パネシージョの丘は午前中はそうでもないが、午後は殺人とスリが非常に多い
 そうだ。旧市街もスリが多い。なんて、30分位、スペイン語+英語+身振りで会話。
 例えば、首やBAGを親指(ナイフ)で掻き切る仕草をしながら"ムーチョ(very)"という
 ぐあいだ。停留所「サンタルシア」着くとに帰る方向の乗り場と丘への通りを丁寧に
 教えてくれ、別れた。雲が厚い。今にも雨が降ってきそうな天気だった。なんか、
 丘へ登って展望を臨むという気がそげてしまった。アルの行った方向を見ると露店が
 チラホラ見える。今日は、ブラブラお土産を物色しようと決めた。(写真上:市場)
 飯とシチューっぽいスープで昼食。US$3もしなかった。
  サンフランシスコ教会はガイドの英語にナマリがきつく(Rがルと発音)聞き取りに
くかった。宗教画で1枚だけ凄いのがあった。人が400人、名前入りで描かれた8*4m
の大作だった。他に気になったのはドクロマーク。この教会のシンボルマークという
 解説だった。
  アルパカと思われるハーフコートは50000sが見て、3軒の間をぐるぐる回って、迷
っている演技(半分)をしている内にどんどん下がって、
 「アミーゴ、特別」と言われて30000sまで下がった。本当は、夕方寒いし、暖かい
 サンチアゴから日本へ飛ぶとTシャツ3枚重ね着しても寒いだろうと思い多少高くて
 も買うことは心に決めていた。モロッコのフェズでは、この「ヒット&アウェイ」
 作戦は最後の詰めで商人がわざとらしくニセブランドのラベルに気がついたフリを
 して下げた価格をまた振り出しに戻した為、ケンカ別れに終わったのだが、
 ここでは、そういうイヤらしいねばりっこさはなく双方最後は笑って別れた。
  Tシャツは6000〜33000sまで幅があった。デザインやプリントが良い物(動物)や
 刺繍は高かった。面白い所で
 ・「FUCK YOU!」文字+中指突き出した指の大きなプリント
 ・星座のマークと1:1の体位(松☆崩しとか)が絵で12種類描かれているもの
 どちらも12000s(400円)と安いが、何時・何処で着たらよいのか悩んでしまう物
 だった。でも、今思うと部屋の飾りか洒落のきついプレゼント(人格を疑われる
 危険性大だが)に使えたかなぁ?と買ってこなかった事をちょっぴり後悔している。
  露店や商店が道に大きくせり出した旧市街は1日中歩き回って飽きなかった。
 ロバや馬の代わりに21インチTVを2台や14インチTVを5台を額に掛けたバンドで
背中に背負った人が時々通って、ちょっと道のクネクネしていないフェズみたいなニ
オイもした。
 
 [TWINで女性と...]
  翌朝は8時のフライトなので5時半に起きなければいけない。疲れていたのか21時
にすんなり寝入ることが出来た。が、24時頃ふとが覚めた。寝ぼけている内に電話の
 ベルが鳴った。アルだ。何かごちゃごちゃ言った後、部屋に来ると言う。何だろう..
 こんな時間に...と目をこする。knock!
  内鍵を開けてドアを開けたらアルと背の高いブロンドの美女が居た。こっちは
 パンツとTシャツ。飛行機が遅れ、今、ホテルに到着したそうだ。他に空きがなく
 シェアしてくれないか?と言う申し出。(By、美女の英語)哀願する美女にこっちは
 断る理由はない。ただ...
 ”You are O.K. .....I'm O.K.”
 (君が良いなら自分は別に構わないヨ)と言いたかった。
 寝起きと緊張で頭がまわっていない。簡単な文章を作るのに大分時間が掛かり、自分
 で自分がもどかしかった。取り合えず意思は通じた。
 彼女はカナダ人で名前はジャニス。180cmと背は高いがスマートで奇麗な25.6才の
 女性。
 −−−彼女はシャワーを浴びる。女性にしては時間が短かった。−−−
 2年間静岡県で英会話学校で教師をしていて、後1年間は続けるそうだ。
 (組み替える長い足にドキッ)
 今は2ヶ月里帰りした後で、3ヶ月エクアドル旅行+スペイン語勉強をしにキトに来た。
 霧でパナマで足止め2hr.で遅れたそうだ。トロント-->マイアミ-->パナマ-->キトで
 13時間疲れたと言って、お互いにコンチネンタル機、タメ機のシート(B727)は狭いっ
 て事で共感する。
 (英語の先生だけあって分かり易いslowな英会話をしてくれた。初対面でいきなり2
人っきりというお互いの緊張感もいつの間にかなくなっていた。)
 両替、旧市街、今日買った服、
  フランス語とスペイン語の違い
 (自分にとって仏語は”ジュルジュル”としか聞こえないなんていうと笑う)
 カナダ人にとって普段英語と同頻度で話す言葉だから、似ているスペイン語は何とか
 理解出来るんだそうだ。自分の英語はgoodだと褒めてくれたが、自分には決定的な
 欠点がある事を話す。
TAKT「旅行会話以外の文法を忘れてメチャクチャなので、旅行会話パターンから逸れる
      と単語だけになってしまうんですよ〜。」
ジャニス "Really?But,no sentence...&grammar."
    「発音が良いのよ。ちゃんと通じてるし、文法はチョット復習すれば思い出すわ」
 (あかん、まるで先生と生徒や)でも、帰ったらチョット学校通おうかな。とも思う。
 続いて、エスパルスの2人の方が他の生徒より発音が良い。って話もしてくれた。
 英語の勉強については結論が出ず、話題が旅行に戻る。
 昨日、海亀の「交尾(Se...Making love)」を見た。(訂正されず)詰まったらフォロー
 してくれるが、学校の様に訂正するつもりは無いようだ。もっとも、何とか通じる。
 思い出したように"be tired of(飽きた)サンチアゴの街"なんて"fromじゃなかったナ
"って確認しながら使ってみたりして、ガラパゴスの動物やイースター島や仕事や趣味
 ...会話が続き、
 1時間以上は話していた。
 二人揃ってあくび。お互い寝る必要があるね。って笑って。部屋の電気を消した。
 しばらく忘れていたTWINで二人という状況を再び意識し出す。毛布が暑い。トイレ
 行く。ドキドキ、モヤモヤ、シャッ(邪念を吹き払う効果音)
 でも、3循目位で意識がなくなった。

 5:30起床
  彼女が寝返り、お別れのKISSくらいしてやろうか...なんて頭の中で狼が遠吠えを
 する。カロリーメートと昨日の冷えた中華のDOGGY BAG食って、トイレなんてやって
 いる内、彼女を起こしてしまった。(多分、最初の時計のベルからタヌキと思った)
 せこいアル対策に「昨夜分は支払い済みだからMaybe払う必要無いよ。」って書き置
 きのメモをトイレの中で書いている内に6:00。お互い"Good luck for〜"って言って
 出ていった。ドアはプッシュ式だから彼女が起きてくる必要はない。もう、開けれ
 ないドアを振り返って、あともう1日あったらなァ、と心底思ったTAKTだった。

 [アルは良いヤツ]
  昨日、目の前でリコンファームしていたおかげでアルがなにも正式には頼んでない
 のにTAXIを呼んでくれていた。アルもTAXIの運ちゃんも自分も眠い目をしている。
 なんかジーンっと感動していた。アルに5回位”グラシアス”っていいながら、
 さっき書いたメモをチョッピリ後悔していた。いや、多分正解なのだが、チョコット、
 アルに申し訳ない気がした。両手で握手を求め、"チャオ"
 アルはTAXIが角を曲がるまで見送ってくれてた。ホンマにええホテルやった。
 (自分は感情が高ぶったり、凄いリラックスしてると関西弁に変わる)
 空港が近ずく。来るときUS$4だったから、早朝でUS$5が相場だななんてダンダン冷
静になってく。でも、降りる時、US$5札出しながら"O.K.?"って語尾を挙げてしまっ
た。しまった、聞く態度じゃ舐められてしまう。でも、ダメだったら怒鳴って、ロビ
ーへ走ろう、と覚悟決めた(3秒)ら、運ちゃんはチョット考えて笑顔で受け取ってく
れた。本当はちょっとボッタクル気だったかもしれないが...まあ、物価のインフレ率
30%から計算すると妥当な線だろう。
 
 [キト空港にて]
  1日前にリコンファームしたタメ航空は、なんか言いかけ、先の2日間かけて乗り
継ぐ航空券を見て、言うのを止めた。多分リストから削除されていたんだろう。
 意識してとぼけた作り笑顔でボーディングパスをもらった。
 出国税US$25に怒って、パスポートコントロールで係員にNWの航空券に載ってる
 伊達公子と自分の顔(色)を見比べられ、「ホントに日本人か?」の発言に苦笑した。
 待合い場所でサンドイッチとコーヒーが出たのがありがたかった。滑走路の途中で
 一列に並び麻薬犬の検査を受けるという珍しい送迎も受け、笑かしてもらった。

{photo:t707_2麻薬犬.こんな露骨な麻薬検査は初めて}



 乗って見るとガラガラ。サンチアゴから来た時と同様、横になって寝れる。
 途中、マチュピチュかナスカが見えるかと期待していたが、スチュワードに確認する
 とグアヤキルの30分後に海に出てしまうと言われ、寝ることに専念。
 サンチアゴへの5.6時間ひたすら眠った。

 END−7−  続く。


太平洋周遊・初めての南米
世界あちこち旅日記