Circle Pacific −8−(キト〜帰途2)
{市場の貝料理店}
Circle Pacific −8−(キト〜帰途2) 第20日目:1997年1月7日(火) キトから飛んだタメ機は気流の悪いところを器用に避けながら予定の16:20より 早く16時前にサンチアゴへ着陸。三谷トラベルのPICK UPは時間通りに迎えに来て くれた。その間、片道640pesoのエアーポートバスを調べ、市内の両替屋をiに尋ね 、有意義に過ごした。予約しておいた「HOTEL VEGAS」へチェックイン。日本人の 個人旅行者は少ないと見え、予約したことを告げただけで「TAKT?」と聞いてきた。 シャワーを浴び、両替屋でUS$30だけ換金。一週間離れていた街がなつかしい。 街の構造はもう手の内にある。平凡な夜にしたく無かったので、夜のJAZZ SPOT探し をやり始めた(3日目)、2時間探して行き着いた店は新年1/13にOPEN。残念! スペイン語圏で道を尋ねて歩くのは苦労したがGAMEみたいで充実していた。 ケンタで飯食って、23:50にHOTELへ帰ってきて、シャワー浴びて寝た。 第21日目:1997年1月8日(水) 10:00に目が覚めたが、TV見ながらゴロゴロ、フニャフニャしていた。 12:00きっかりチェックOUT [マーケット] エキパヒ(LAGGEGE)を預かって貰い、マーケットへブランチ。貝専門食堂の元気 ネーちゃんは、真っ黒で変な日本人旅行者を覚えてくれていた。ウニ(Piure) と一般的な貝(Almeja:巨大あさり)は別の料理で1700p or 1200pだったのだが、 両方食べたいから混ぜてって、また、メニューに無い物を注文してしまった。赤い身 の細いウニはそんなにおいしくはなかったが、ベースの野菜入りスープの味は、 スペインのグラナダで食べたガスパチョスープ(冷たい野菜スープ)と同じだった。 美味しくて美味しくてパンをもう一皿頼んでしまった。水は、この前のCON GASの件 があったので、1.5lボトルを堂々と持ち込んで飲んだ。勘定は間をとって1500pと読ん でいたが、ネーちゃんがニマッと笑って1200pにしてくれた。tipとして200pと食べ きれなかったチリモヤを渡して、記念に写真(上)を撮って別れた。 腹ごなしにマーケットを歩く。途中、1/2メロンをスプーンですくって食べている マーケットの人を多く見かけた。なにかもの足りないと思った。今回の旅行中、一度 もメロンの丸かじりをやっていない。長期の旅行ではいつもの儀式の様にやっていた のに!、あいにくスプーンは預けたBagの中だった。早速、スプーン探しを始めた。 ランチリのスプーン=300p。なんか、やだ。もう既に入手済みだし。んで、変わった 形の新品先割れスプーンを同じ300pで買った。次に、メロン探し。夕張メロン見たい な物が6ヶ1000pの所を見つけ、(完全に無意識で)悪戯小僧の様にニカっと笑いなが ら買ったばかりのスプーンを取り出す。”UNO!!”って言いながら半分に切る身振りを する。やりたい事は十分伝わった。選ぶのにヘソを押し出したのを見て、マクガイバ ー似の優しそうなお兄さんが、美味しそうなのを10個位探した後、1個を選び出し、 真っ二つに切ってくれた。(自分は選ぶのをすぐに止めプロにお任せすることにし た。)そこで食って、種も適当に通路にぶちまけて良いと言って(BODY)くれたので、 200p払って遠慮なくその場で頂く。中はオレンジ色。
{photo:t708_1打上メロン.旅の締めくくりの立ち食いメロン}
芳醇にして、濃厚、それでいて、この口に広がるさわやかさ...。(by TAKT山岡^~) 熟していて旨い。夢中で食う。通りがかり爺さんが"美味しいか?"って聞いてきた。 "ムーチョ"って言いたかったが、口ん中がいっぱいで"ん〜ん"ってうなずく。爺さん は6個買っていった。マク兄のBOSSらしき人が目で感謝してた。(ええサクラやなぁ) 幸福だった。お腹いっぱいで動きが鈍い。子犬が水たまりを舐めていたのでメロンの お椀にペットボトルの水をあけてやる。世間話してるオバサンが目を優しく細める。 スーパーに寄って年末に試飲したシャンパンを2本とカスク(紙箱入り)の白ワイン 等を買った。 [チリの女性] 最終日だが、もう、あくせく観光するつもりはなかった。フロントで一番良いと勧 められた美術館は既に見終わって幻滅済みの美術館だったから、いくら暇でも他を見 に行く気が起こらない。カメラが使い捨てを含め途中のフィルムが3本もある。通り で世界一美女が多いと評判が高いチリ女性でフィルムを撮り切ることにした。 好みの問題もあるのかもしれないが、確かにきれいな人が多い。ブルック・ シールズかジェニファー・コネリーのレベルとちょくちょく道ですれ違う。出現頻度 はエクアドルの1.5倍。ヘソ出しがちょっと流行っているようだし、ノーブラで白の ブラウスの上からハッキリと▲頭がわかるモデルみたいな人も街中を闊歩している。 信号待ちで横の目と睫毛を見ていると吸い込まれそうになった。機内で知り合った アメリカ人にとっても同じみたいで、チリ人が綺麗というのは盛り上がる話題だ。 グアヤキル(エクアドル)の空港で話し相手になってくれたご婦人も南米の女性は 綺麗だと評判になっていることをふまえ、周りの若い娘を指差し、「綺麗でしょ」 って自分の事を棚にあげ自慢げだった。 [ゲームセンター] 残り30分でゲームセンターに寄った。営業マン?が仕事さぼってピンボールをして たり(台数多かった)、対戦ゲームで鮮血が飛び散るヤツとかあったりして結構珍し かった。 [空港へ] メトロLos Heroes駅の真上から片道640pで国際/国内両方行ってくれるエアーポー トバスがある。2社あって、Centropuerto社の方が安い。間隔は、2,30分毎。最終22:30。 他に、US$5の乗り合いTAXIがある。これはホテル前でピックアップ [空港にて] 時期はずれなのか、街中では見かけた日本人は新婚さん1組だけだった。ガラパゴス 諸島で日本人と群れていて、2日間1人で行動していて、人恋しくなっていた。そんな 状態でランチリ航空のチェックイン待ち。行列をぼーっと眺めていたらコロコロした 感じのかわいい日本人っぽい女性を見〜け!なんか辞書を渡してランチリの人と会話 していたから、明らかに日本人なんだろーなぁと想像する。こっちは、英国人宛てに 絵葉書を書いていて"turtle(亀)"のスペルがわかんなかったところだった。先に出国税 を払って、前のベンチで待っていると彼女が、隣にチョコンと座ってきた。 とりあえず、 ”Do you speak Japanese or English?”と聞いてみる。 H.K.さんは、「プッ、日本人です。」と笑って答えた。 しかし、彼女の辞書はスペイン語だった。逆に、 「入国フォームを紛失して、英語で「どっか?へ行け」と言われたがわからない」 と相談を持ち掛けられた。幸いにも、僕はこの空港2回目だ。即座にパスポルト コントロールへ行けば良いことが予想できた。どうせ閑だし、こんなトラブルも(彼女 には悪いが)滅多にできない経験だ。内心喜んで、付き合うことにした。パスポート コントロールは線が引いてあって一人ずつしか入れない。線の手前で待って 「なんか困ったら助け船出してあげる」って言って彼女を係官の方へ見送った。係官 は困った顔で隣の部屋へ駆け込み、戻ってきて彼女のパスポートに何か書き込んだ。 (5分)そのままパスポートをキープして彼女にボーディングパスを取りに戻れと指示。 自分は、出国税を払う時、パスポートの提示を求められたのを思い出し、場合が場合 だけに係官に直接その必要性を伝えた。結局、ボールペンで修正をしたパスポートを 持って彼女は、また、チェックインの長い列に並んで行った。もう大丈夫だと思った ので、自分は先に待ち合い室へ行った。 彼女とは、同じ便。待合い室で旅行とスペイン語の話で盛り上がり、タラップ上で ビーニャデルマルという地元ィ−のビーチリゾートへは、10分毎にバスが出ていたこ とを知った。海水が冷たく、物価が高い。と聞いて残念さも半分に減ったが...。 機内の席はちょっと離れてた。完全に満席だった。 LA 便 SCL 2305-->LAX +0735(飛行時間14hr.) 時差-5hr. 隣の補聴器付けた太ったおっさんが、大声で「ジャックダニエル」と叫んだり、 腕をこっちの座席へ1/3位侵略して寝返り打つし、で散々の機中泊だった。でも、彼 女と話したおかげか、メキシコの30分のトランジットもロスに着いてからの4時間も 短く感じられた。 第22日目:1997年1月9日(木) メキシコ着、朝5時。 ロ ス着、朝8時。時差で時間感覚がグチャグチャ。メキシコから3時間ほど チェンジシートして眠れたが、なんか、ダルい。トランジットなのに一旦入国しな ければならない事がパスポートコントロールでわかり、余計な手間を食った。 スッチーには、グリーンのカードをくれって言ったし、VISAは持ってないって 言ったんだけど、なぜか国内線でフェニックスに飛ぶ(入国)するはずの彼女も同じ 様に書類不備で時間を食った。ランチリの悪い所は英語を半分しか理解しないで 解ったフリをして間違った仕事を平気でやってくれるところだ。このSCL-->LAXで 自分のランチリの評価はロイヤルAIRモロッコに次ぐWorst2になった。 二人でカートを新婚さんの様に押しながら一緒にTEL、両替、NWの チェックイン、KLの変更、各々の処理を淡々とこなしていった。 彼女はスーツケース、自分は、ワインのダンボールを持っている。荷物を見張るの に二人だと便利だ、と思った。思えば、カートは初体験だった。エレベーター でスーツケースを落としそうになったりして、彼女の太い腕を確認してしまった。 最後に、彼女の長電話。隣で電話を終わったアメリカ人が 「どこの国でも女性の長電話...」なんて話かけてきたかとおもえば、 国連の非公認団体でボランティアでやってます。州からも認められてませんが... なんてイランへの寄付を募る人が5人ほど来て 「No、リアリティ」(うさん臭いって言いたかった)って断ると、向こうは、 「あんた利己的だ」なんて捨てぜりふ。 リストにはUS$100〜200の金額が書かれていた。怪しい臭いがプンプン。(- -;) なにもすることなくても、何かおもろいもんがあるもんだ。 中途半端な朝飯を食って11:00。彼女も結構色々な所いってて話はつきない。時々、 ボーッとした頭で、彼女の小さくかわいい顔と太い腕のアンバランスさについて 考えてた。(ピンクのセーターが太く見せてんのか?横縞が錯覚を起こさせてるのか?) とにかく、一人で寝不足で絵葉書書く覚悟に、比べてはるかに有意義な3時間だった。 ボーディングまでの30分は、この旅行で初日に泊まったMotelを彼女に紹介して、 予約して、見送って、使い切った。 NW001便 LAX 1215-->NRT +01700(飛行時間16hr.) 時差+17hr. 隣の60才越えたビジネスマン(日立関係)は、日本びいき。 「どこがそんなに良いの?」逆に聞く。 「列車が時間通り、決まった場所に止まり、ラッシュでも人が社内でゴソゴソしない 。ドイツよりそういうところが良い。」 先ず、そんな事を熱心に褒めていた。 後は、経済とか堅い話〜吉野屋U.S.A.まで話をして、「KIRINびーる」を2本飲んで 上機嫌。途中ワインを残した事をスチュワードに怒られシュンっとなっちゃったのも かわいい。ブロンドの長い髪が綺麗な中学生と両脇で気配りしてるうちにだんだん 老人の顔が明るくなっていくのが目に見えてわかり、感情を包み隠さない老人には 驚きと感動があった。 「インデペンデンス・デイ」も見れたし、よかった。 第23日目:1997年1月10日(金) 最後、スパイシーなトマトジュース(Mr&MrsT)を土産に1缶貰って、一人、 旅の終わりの感傷に酔いしれる。 18:00 京成成田前。Tel.を実家と会社に連絡。 いきなり現実に帰る。 でも、帰りの車窓に見える、漢字やひらがなやカタカナが笑いを誘う。 久しぶりの長期旅行だったんだ。充実感に一人酔いしれる。 寒い。さみ〜。寒い。 京浜東北線で、サラリーマンを見、自分の真っ黒な手を見、 腹の中で「おかしさ」がこみ上げてくる。 このニタニタした日本人は月曜から社会復帰できるんだろうか?(^^;) ・ ・ ・ この日の夜は時差ぼけでa.m.2時起き。旅行記を書きはじめる。 この早起きのありがたい時差ボケは1週間残ってくれていた。 END−8− 続く。