Circle Pacific −6−(ガラパゴス諸島)

 Circle Pacific −6−(ガラパゴス諸島)
 
{動物の写真の枚数が多い為、別にしました。
  見たい方は、文中の青字部分をクリックして下さい}

 第14日目:1997年1月1日(水)
  出国税は、US$18とバカ高い。PESOでも払えるが損。
 眠い。空港から外のライトを何となく眺めていたが、立睡しそうだ。
 新年だからといっても特別な事は何もなく。B727に一番乗りする。
   タメAIR  SCL 0230 -->グアヤキル 0530(助走時間28sec.、飛行時間5hr)
  時差−2
 異様に早い上昇。飛び立って2分もしないうちに機体が斜め状態なのにベルトのサイン
 が消えた。機内は空いている。各々3,4席取って横になって眠った。
  着陸前、サンドイッチが2ヶ。操縦が荒く、降下・上昇を繰返し遊んでいるような
 動きをする。飛行機に乗っていて今まで一番不安になった。グアヤキルの夜景は、整然
 としたカイロの様だ。オレンジ色に照らされるの道と緑色に点る家の灯り。
  スペイン語ONLYで未記入のイミグレFORMは入国官に手伝ってもらって記入した。
 が、グアヤキルの検疫は軍人が取り仕切っている。偉そうで、乱暴で、気にいらねー。
 9時頃の乗り継ぎ便を待つ間、闇->紺->紫->灰色へ変化する空を見ながら、
 バックパックを机代わりに絵葉書を書いて過ごした。筆不精なので、葉書の写真は前
 の国、切手は(ガラパゴス諸島で買えるだろうか。?)と思いつつ書く。サバイバル
 ナイフや機関銃持った迷彩服の兵士が3人彷徨いているものの、荷物にはいつも以上
 注意した。南米一スリが多いと聞いていたグアヤキル。トイレもがまんがまん。
 見送りに来ていたおばさんと片言の英会話と初級スペイン語口座が救いだった。
  8:30 現地旅行社の人とやっと合流。国際・国内別々のタメAIRカウンターで待っ
て
 いた為、チェックイン締切間際でお互い焦った。自分にとって、初めての日本のツア
ーに合流だ。元旦の為か「異常な混み方」だと旅行社のおっさんはカリカリしていた。
   キャンセルの人の代りに潜り込めたツアーには、7人。
 O夫:雑誌の記者で愛鳥家。やわらかな物腰で人の輪を大切にする方。最初、語り口
      と自然への知識の深さからてっきり大学教授と思った。(推定53才)
 O妻:趣味フラメンコ。ダンス留学もしていてスペイン語日常会話O.K.
      (推定:東京オリンピック知ってるということは...)
 N夫:遺伝子の研究者。仕事が大好きで誇りを持っている様。田矢先生もお知合い。
      (推定:東京オリンピック知ってる41才?)
 N妻:日常会話に化学用語が出てくる夫を黙って暖かく見守っている。職場結婚。
      (推定:若く見えるが29才以上)
 Kさん:定年近いおば(あ)さんだが、気も足も元気。Fさんと仲良し。
 Fさん:英語完璧。露語も話せるそうだ。自由奔放に生きてる様な独身女性。酒豪?。
      (推定:ノリはワーホリだが、29才よりかなり上)
 KO氏 :(株)キューピー研究員。食事の度に評論を求められていてちょっとかわいそう
       だった。愛鳥家。独身男性。(推定:35才)
 TAKT :チリから途中参加の真っ黒い日本人。最初、学生だと思われたが28才独身男。
 
 タメAIR  グアヤキル 9時 --> バルトラ島10時半(助走時間29sec.、飛行時間1.5hr)
 フリーシート(どこでも座って良い)でゆっくり行った為、窓際は早々と埋まっていた。
 隣は、南アフリカの内田ゆき似の女子高生。南アが英語を常用しているとは知らなか
 った。なまりもなく、聞き取り易い英語を話す。もっと話していたかったが、30分
 でも寝不足を補う必要があった。睫毛や発達した胸や堂々と出したへそが魅力的で
 とても女子高生とは思えなかったが、着陸間際に後部座席の女の子と船のシールを胸
 に貼るかor帽子に貼るかではしゃいでいる様子は女子高生らしかった。残念ながら船
 のシールは自分のものと異なっていた。Bye!。
 

 [船1日目]第14日目:1997年1月1日(水)
  入島料はUS$91(80+7+4)。$TC払いO.K.。但し、係官一人なので入島まで1時間以
上かかった。バスで埠頭まで行き、クルーズ船AMBASADOR Tに乗り込んだ。
  94人の客がA〜Fまでのグループに分けられナチュラリストという職業のガイド
兼監視がついた。ナチュラリストの名前はナチョ。「ス」を付けるとメキシコ料理み
たいな名だ。20年以上もやっているベテラン。グループはD「ドルフィン」で、18
人。構成は、日本人8人の他にボストンから4人家族。(髭親父は、医者の教師。中
高の娘2人)カナダ人夫婦。フランスから4人家族。3才の女の子と5才の男の子。
 
 16〜19時 BARTOLOME島へDRY LANDING
   見たのは、クレータ、溶岩、ガラパゴス諸島固有の植物群(足首位の高さの白や緑の
木、草のサバンナ)。動物はトカゲ、軍艦鳥だけで拍子ぬけ。 山頂からの風景。島同
士が溶岩で細く繋がった場所と尖った島。霞んだ遠方にはチャイナハットと呼ばれる
島。夕日をバックに黒茶色の山の稜線がきれいだった。
 
   寝不足の為か軽い船酔い。ピルを受付嬢に1錠貰って生まれて初めて飲んだ。2時
間もしないうちに気分が良くなった。明日の予定をスライド説明後、夕食。やっと遅
いシャワーを浴びた。古いロシア製の客船で水には赤錆が入っていた。臭いもきつい。
 「飲むな」との注意のアナウンスが再三あった。でも、丸2日ぶりのシャワーは気持
ちよかった。

 
 [船2日目]第15日目:1997年1月2日(木)
  8〜12時 FERNANDINA島TAGUS COVEへDRY LANDING
  クレーター湖の横をハイキング。岩に1836年にダーウィンが落書きした跡や200m
の高さの崖に海賊が書いた落書きの跡を見た。途中、ナチュラリストも滅多に見たこ
とがないリクイグアナ(黄色)に遭遇、決められた道から外へは入ってはいけない(自然
保護の為)ので7.8m離れた所から観察した。5分位微動だにしなかった。他に見れた
動物は、DARWIN FINCHE、黄色マネシツグミ、GALAPAGOS HAWK(鷲)、植物では、ステー
キになるサボテン等。後半、パンガライドと呼ぶボートに乗って崖の周囲遊覧をした。
クルーズ船より、崖が岩塩?雪?と見えたのは、青足カツオドリの糞だった。崖の狭い
平面に器用に立ち、海面スレスレを飛ぶ。ヒレ付きの青い足が、立っていると良く目
立った。先に行くと世界で2番目に小さい(35cm)ペンギン2匹、MARINE IGUANA(海イ
グアナ)10数匹、Sea lion(アシカ)数頭がいた。途中、ボートのエンジンを止めMARINE 
IGUANAとSea lionと共に波音を聞いて2分間。というナチュラリストの心憎い演出
もあり良かった。ボストンから来た4人家族の長女(キャーキャー姉ちゃんと呼んで
た)もこの時だけは静かになった。
 
 15〜18時 ISABELA島のPUNTA ESPINOZAへDRY LANDING
 [海イグアナとにらめっこ]
   溶岩棚を歩く。MARINE IGUANAとSea lionのコロニーがあった。ここで、ストップ
ウオッチ片手にMARINE IGUANAとにらめっこをした。5分位長引くことを期待したの
だが、結果は17秒で勝ちだった。続いて5連勝(1反則勝ち) 条件はイグ君の正面距
離1m。通常、右左目をゆっくり交換しながら監視をする。この時点でイグ君の負け。
次に頭をカクカク上下させるのは威嚇。それでも逃げないと思ったら、鼻水を飛ばし
てくる。一人反則だったのは、 始めて1秒で鼻水飛ばしてきたやつだった。彼の側に
は妻が3人寄り添っていた。彼なりに縄張りを守るのに必死なんだろう。
   イグアナは昼間、岩の上でじっと暖をとる。時々、思い出したように苔をゴツゴツ
の口でこそぎとるのが食事だ。たまに、シッポで砂地に1本の跡を付けながらのしの
し歩いて、夕方、熱を逃がさない為か10匹位で一塊になっている。泳ぐ時は両手両足
を後ろにだら〜っとして体を左右に振りながらゆったり進む。水中にじっとしている
ヤツもいる。その気になれば1時間は息継ぎ無しで潜っていれるそうだ。
 	   (一人とか彼とか言ってる。危ない兆候だ。)

 [SEA LION(アシカ)]
      生後2週間以内の子供があちこちにいて可愛仕草を見せてくれた。子供同士や母
子でkissしたり、milk吸ってたり。常にボスが"ゴオゥ、ボオゥ"と    叫びながらコロニ
ー周囲を巡回しているのはうるさいが、大家族を守る真摯な態度だからと納得・尊敬す
る。でも、家長に君臨できるのは長くて3ヶ月       だそうだ。夕方になるとあちこちでテ
リトリー争いが起こる。時速15km位で戦いながら移動するので非常に怖い。攻撃的だか
ら6m離れて観察するようにという注意が思い出される瞬間だ。

 [その他]
   LAVA CACTAS(ムーミンのニョロニョロを連想させる形で柔らかい棘を持つ)。
 FLIGHTLESS CORMORANT(飛べない小羽鵜)。MARINE TURTLES(海ガメ)。

 
 [船3日目]第16日目:1997年1月3日(金)
  8〜12時 SANTIAGO島PUERTO EGASへWET LANDING
 [SEA LION(アシカ)とFUR SEAL(オットセイ)の違い]
         オットセイを2匹見た。いままで、アシカとオットセイの違いが解らなかったが、
見比べてみて、オットセイの方が首が太く夜行性。気性も比較的穏和である。ぱっと
見アシカの子供とは見分けがつきにくい。両方同じ場所に同居しているのは世界でも
珍しいとのことだ。

    [その他]
        様々な鳥の漁が頻繁に見れた。カワセミは、波打ち際で待ち、PELICANは1m
        ダイブ、カツオドリは5mダイブ(上空20m位から飛び込む)、軍艦鳥は
        両ダイバーの口にくわえた魚を横取り。軍艦鳥は、水に飛び込んだり、
        浮いたりする事ができないので横取り専門なのだ。若いPELICANはブッシュ
 	に立って考え事をしている。写真の良いモデルになってくれた。

    [SWIMING]
 	アシカの子供が飛び跳ねるビーチで泳ぐ。動いていないと寒い。
 	子供は好奇心旺盛で、水中で手足を動かし波を立てないように泳いでいると、
 	遊んでくれる。途中、じゃれて右足の小指を噛まれたりした。時々見回りし
 	てくるボスだけ、近づいてくると緊張したが、偵察(4m)だけで、危害は加えない
 	。4才位の女の子が背中に鼻をチョンと付けられビービー泣いていたが...。
 	 自分は判らなかったが海亀も早いスピードで泳いでいたそうだ。
 15〜18時 SANTIAGO島RABIDAへWET LANDING
 	アシカの大きなコロニー、PELICAN、GALAPAGOS HAWKを見た。
 	FLAMINGO(フラミンゴ)遠く7羽発見。

    [SNORKELING]
 	アシカと泳ぐ。青いでかい魚、珍しいウニ(棘が直径3mm、馬糞型)、
 	でかいヒトデ。溶岩の石(約直径1cm)がゴロゴロしていてフィンの中に入ると
 	痛かった。相変わらず寒かった。

{photo:t706_SUNS2.船上から見た奇麗な日没}


 
 [船4日目]第17日目:1997年1月4日(土)
 7.5〜12時 SANTA FE島PUNTA CORMORANTへWET LANDING
 	ちょうど海亀の産卵期。産卵に来るビーチは小麦粉のようにサラサラ細かい。
 	卵を気使いサンダルを脱ぎ、裸足で波打ち際を歩く事を注意された。
 	交尾(MAKING LOVE、SEX)×2カップルを観察できた。なぜかエイの泳ぐ浅海
        で雌は全身・雄は半身海水に浸かりながらいたしていた。雌は息継ぎしなけ
        ればいけないので結構辛そう。30分以上続いている1組と対象的にもう1組は
        出会いから別れまで5分だった。ナチョに聞くと最長6時間だそうだ(ズーッ
        と見てたんだろうか?)。

    [SNORKELING]
        ボートから着水しデーモン島を半周。SHARK(人は襲わない鮫)やマンタがいた。
        鮫は2m位。ナチョがシッポをつかむと時速50km位で逃げていった。マンタは
        目が悪い為ボーッとしか見えず悔しい思いをした。ムチャクチャ寒かった。
 
 15〜18時 SANTA CRUS島PUERTO AYORAへDRY LANDING
    [ゾウガメ]
 	7泊8日のコースに特別参加。その代わりダーウィン研究所見学を捨て、
 	LONESOME GEORGEとは会わなかった。独り飼われているってのが、さびしそうで
    見に行く自分の中の優先度を下げたのだ。
 	 野生に近い状態で保護されている象ガメ20頭位と対面。(+$2)
 	草を食べる様子、深くくぐもった息使い、出したての緑色の糞。小1時間
 	飽きることなく見て回った。
      草むらの中には、黒や赤のフィンチがいて、近づくと飛び立った。
      全然すれていない動物達との息を潜め合った昼下がりの散歩。思う存分
    楽しんで、のどかでゆったりとした気分に浸っていた。

    [PUERTO AYORA港の風景]
         漁船のそばのペリカンは完全に餌付けされていて、魚の骨を下顎につっか
        えさせていたりして緊張感がまるでない。こいつらが飢える事はまずない
        だろう。ホテルのベンチ下に海イグアナがダラーっと寝そべっていたりして
        写真には面白いが、こいつも緊張感が...ってイグアナに普段緊張感は元々
        ないか。でもシッポつかむ(ナチョの見てる前でやったら強制送還もの)と
        結構敏感で、一瞬恐竜っぽさを感じた。埠頭の壁には珍しく雌イグアナが
        単独で路上を伺っており、ちょこんと顔だけ見える情景がムチャクチャ
        可愛かった。

 
 [船5日目]第18日目:1997年1月5日(日)
  帰るだけ。埠頭のベンチにはグデグデ寝ているアシカ、浮きながら寝ているアシカ
 がいて羨ましくなった。
  エクアドル空軍の航空会社・タメ航空の飛行機でグアヤキル経由でキトへ。
 お世話になったツアーの7人にはグアヤキルの滑走路でお別れした。
        
 END−6−  続く。


太平洋周遊・初めての南米
世界あちこち旅日記