Circle Pacific −5−(サンチアゴ編)
[チリの通貨] 通貨単位は、PESO(US$1=415〜423PESO) 少額のドル紙幣も受け取ってもらえるが、釣りはPESO。 (買い物時の闇レートは良くて410PESO) 大抵はPESOで払ったった方が得だが、ホテルや公金は逆転。いつでも両方聞いて割安 な方で払った。チリ人は国内でしか通用しないPESOよりもドルを欲している様だ。 {photo:t705_1.バーガー屋での紙の積み方} これが、チリ人のセンス?
第10日目:1996年12月28日(土) ドメスティック空港に着いたので両替もMAP入手もできなかった。そう、イースタ ー島がチリ領という事を改めて認識させられた。(実は後でINTERNACIONAL空港が歩い て行ける距離にあるとわかる。)空港を出ると20時、日は高いが22時には暗くなって しまうだろう。YHを予約してあるスイスカップルやTAXI誘ってくれた三菱自動車カ ップルとは空港で別れた。宿は、シャトルバスのボーイを通じTel.してみたが、安宿 がいっぱいなので仕方なく第3候補のLibertador(US$43)にする。市街に向かう$5の シャトルバスでは、在メキシコの大阪人コンビW&F君がいた。こんな所でワイワイ話 す関西弁がうれしい。たまたま一緒のホテルに泊まることになった。着いてみると、 三ツ星ホテルのなのにフロントで英語話せたのは、1/5人。面倒見の良い大阪人はス ペイン語ペラペラ。頼む前にあっという間にこっちの分までCHECK INを済ませてしま った。また、運が良いことにサンチアゴでお世話になろうと思っていた三谷トラベル の兄ちゃん(T君)がF君とアメリカンAirのオーバーブッキングの件で話があり、そ の後、引き続き話をして南米の手配をお任せすることにした。 23時、3人でマクドへ行き遅い夕食。小学生以下の子供が親がついているにしても こんな遅くまでいっぱい歩いていることに驚いた。 第11日目:1996年12月29日(日) サンチアゴは、ガイドブックを読んだが行きたいと思う所が2ヶ所しかない。 [サンクリストバルの丘1] 地下鉄で丘を目指す。3人も行き先を確認してたどり着いた駅を上がるが、地図上の1 直線の道のど真ん中に軍事施設が広がっている。う〜〜ん、おかしい。 機関銃抱え た兵士に”英語できる?”って聞いたら守衛小屋から3人位出てきて内1人が英語が できた。事情を話すと守衛小屋に招かれ、入ってみると他の2人がTEL帳をセカセカ くっている。なんか様子が変だ。 TAKT”なんで丘に行く道を聞いたのにTEL帳が必要なの?このSt.を指で教えてくれ れば歩いて行くだけなのに” その返事で根本的な間違いにようやく気着いた。指で示せる範囲にそのSt.はない。 地下鉄を8駅も乗り過ごしていたのだった。2種類の地図を取り違えて見ていたのと スペイン語で駅への行き方を聞き回答(皆、こっち行きに行けばいいと教えてくれて いた)を間違って解釈した為、方向は合っていたが終点の軍事施設まで行ってしまった のだった。4人揃って門から変な観光客を見送ってくれた。持ってるものは物騒だが、 親切な兵士さん達だった。 (結局、TEL帳で探していたのはTAXI?だったのだろうか???) [自然史博物館] 日曜なので、入場無料。1時間で見れる(スペイン語の解説を全然読めないこともあ るが)小じんまりしたMUSEO。目的のロンゴロンゴの文字板は3枚。3日前に読んだロ シア人言語学者のイラスト付き解説が横にあった。マンボウとT字の頭した等身大の 人形?が印象的。蟹の芸術写真をカメラで撮っていたら、あちこちほころんだ服を着た 8.9才位の男の子が「ムサグナ フォト」と3回言った。(撮ってやるからTipをくれ?or 僕を撮って?)いまだに謎の言葉だ。こちらが理解不能なのがわかると走って消えてい った。 公園を出るとガラスのコップにコーンのようなものと桃を入れたジュースを売ってい た。飲んだ後の腹の心配と珍しい物への好奇心が頭ん中で一瞬戦ったが、売っている おじさんにはさっきMUSEOへの道を教えてくれた恩義がある。大小のコップの内 小さい方のコップを指し、 TAKT"UNO!クワント クエスタ?(1杯いくら?)" ”ドス シエン”(200 PESO=50円チョイか) 甘い。桃が半分×2、コップの底には、コーンのようなものがあり、スプーンですく って食べる。 TAKT"ケー エスエステ?(これなに?)" ”MOTE” MOTEは縦細ハート型でコーンの味がした。 [サンクリストバルの丘2] 街中には黄色いバスがウヨウヨ走っている。系統もいっぱいあってどれがどこに行 くのかさっぱりわからない。公園前に止まっていたバスに表示も見ず乗り込んで、運 ちゃんに TAKT”Go to サンクリストバル?”といいながら、地図を指す。 ”シー”(おっラッキー!) ほとんどの交通機関が160peso(=40円)だ。ロスに続いて行き当たりばったりだが、 案外、ルートマップ手に入れて,系統を調べて,なんてやっているより効率的かもし れない。結局メトロ駅の真上で"あの山"と教えられ、下車した。 フニクラ(ケーブルカー)の駅まで2kmほど1直線に歩く。サンチアゴ内の数少ない 観光地の一つだからなのか道の西側にズラっと土産物屋が並んでいる。(西側は夕方 日陰に入る)ピンクの翡翠や瓢箪の煙管が珍しかった。捨て猫の里子探しやスプレー を使ったポスター描き等なんでも有りだ。綿菓子やお面の屋台もあって神社前の雰囲 気もある。結構楽しめた。 {photo:t705_2.スプレーアート} 手つきが小気味よく、早い。
フニクラは往復900peso。途中駅に動物園、頂上にはマリア像が有り、その足元か らは270度の展望が望める。しかし、景観は良くない。ピーカンに晴れているのに、 話には聞いていたスモッグがひどいのだ。おかげで周りを囲む山が霞んで見えた。街 中を走るバスの半数が排気管を長く上に延ばしている気持ちがわかる様な気がした。 実質的に全く意味はないのだが、排気ガスがちょっとでも上空に逃げるようにってこ とだろう。物理的に解説を加えるなら、夏期は日中地面で暖められた空気でスモッグ が上空に押し上げられ、周りの山を越えてくれるそうなのだが、冬期はスモッグが山 を越えれずに街をうろうろ移動するだけなので、黒い雨が降ったり、抵抗力のない人 が肺炎になったりするそうだ。展望をたとえて言うなら、4倍の広さの雲付き奈良盆 地。山は赤いが...。(共通点は山に囲われてるだけやんかーって) 帰りにギターのWボーカルに100P。帽子の中のコインは1〜10Pがほとんどだった。 [PALACIO NATIONAL DE BELLAS ARTES] なんとなく公園づたいに歩いていく。 …………… 2km位歩いたところで美術館が見えてきた。ダリ展をやってるみたいだ。入場料400P、 便所50P。地下1+2Fの1棟。ダリはいまいち。他で見たときは好きな絵があったの に。全館で気に入った絵は3点。自分は、ぼさぼさ髪の男が腹から血を流してる系の 絵(宗教画)は総じて好きではないが、独断と偏見でA〜Eで評価するとDだ(総体的評 価でAはルーブルとかプラド)。緑色の昔のトリック映画もやっていたが、全然面白く なかったので1分で出てきた。 [日曜の公園] 日曜の公園だけにカップルと家族連れが多い。カップルは老いも若きも熱々だ。30℃ 以上ある芝生の上で、ラッコ型や松葉崩し型や、...皆絡み合い、座ったり抱き合った まま眠っていたりしていた。その間を父子がサッカーボールを蹴っている。フリスビ ーや小さなボールはない。立ち上がって動いている人はほとんど、サッカーをしてい る。さすが南米と思った。 美術館の裏手は、特殊なスペースで、若者だけ。中央で、音楽に合わせて大道芸の 「練習」をしている。横を通るといろんな物が飛んでくる、W茶碗・ジャグリングの ボール・クラブetc.プラスティックやゴムのちゃちい道具は当たっても痛くない。皆、 一生懸命練習していた。一部、ブレイクダンスも。 第12日目:1996年12月30日(月) [マーケット] 目的は、チリの珍しい食べ物、貝picorocosと果実chirimoya.ウェイターの「うに」 「エビ」なんて日本語の呼び込みをかいくぐり、地元住民でにぎわっている食堂を物 色する。picorocosは、実物を発見。直径10cmの木の幹みたいな岩(貝?)にフジツボ 型の蓋がある。これか〜としみじみ見る。その魚屋の2軒隣にMariskalという貝に似 た名の地元住民でにぎわっている食堂があった。表に貝の殻が山積みされているのも 気に入った。近づいていくとコロコロとした姉ちゃんが領収書を手でバシバシたたき ながら、 ”兄ちゃん、食ってくかい。おいしいよ。”(勝手な意訳) なんて感じで威勢がいい。英語は通じないだろうと思い、 TAKT”ピロコロス”と言って食べる真似。 どうやらメニューにないらしい。奥に引っ込むがすぐ”シー”と大きくうなずく。 TAKT”O.K.?クワント?”(時価だと先に聞いておかないとヤバイと思った) ”1700P” メニューの平均値くらい。500円以下だし、まいっか!。 5分後出てきたスープ皿には未知の生物が4つ入っていた。picorocosの味は、貝と 蟹の中間。歯触りも、貝柱味のカニ棒といった感じ。脳味噌か腸に見える部分には砂 が少々。口の部分はエイリアンを連想させる髭状をしていた。それでも全部食ってし まった自分を顧みて「野蛮やなぁ」と思った。 水の注文に対し、隣の店と7UPと交換したCON GAS(ガス入り)水をだされ、困った。 まさか7UPに代えてくれとも言えず、コーラに代えてもらった。(自分にとって炭酸は 苦手でしかもCON GASは大嫌いなのだ。) 果実chirimoya:形はウロコ付きイチジク。味はパインとイチジクの中間。手でち ぎりながら食べれる。1kg 250〜1600P。 [三谷トラベル] 規模は小さいがJTBのような体質。在チリの日本人客を主体で商売している為か 料金高めでリスクの少ない手配を第1優先に考えているようだ。オーバーブッキング やチェックインカウンターでのいい加減な予約変更がまかり通る南米で痛い目に何度 か合っているせいとも想像できる。なるべく安く残された時間を最大限にという要望 に対してガラパゴス4泊5日 US$2800なんて額を平気で出してくる。確かに船は一番 大きい。クルーズもある程度は高いのは覚悟していたが...。ランチリのパスも変更出 来ず。サンチアゴ<-->グアヤキル(エクアドルの第2都市)往復も別に発券しなけれ ばいけない。6時間の交渉+待ち時間で、クルーズ以外のホテルや観光は不要と伝え、 ガラパゴス4泊5日 US$1557船+US$360(島へのAIR) サンチアゴ-->グアヤキル&キト-->サンチアゴ US$ 712 C.Card手数料 +4% になった。クルーズ外の「1泊半日」*2でUS$800も削減できたのは驚きだ。しかし、 旅先で約30万円の出費は痛い。でも、今後30年以上これないかも...と思って決意。 従業員構成は、16人の三谷一族と1人の入社2年目(推定)のチムラ君。日本語で意 志が伝えられる旅行社として高くつくが安心して手配を任せられるのも確かだと思う。 航空券をここで手配すると市内のホテルから空港まで往復Pick upがサービスされる。 第13日目:1996年12月31日(火) [悪酔い] マーケットへブランチ。昨日と違う店でペスカード(メルルーサ)1200P、と地VINO (ワイン)500P。どちらもうまかったのだが...。昨日さわりだけをみたマーケットは 以外に大きくメッセ以上の規模だった。歩き周っている内に気持ち悪くなってきた。 コーヒー飲んだり、教会で寝たり、公園でハト追いかける猫見たりして紛らわした。 [ホテル探し] 結局、高く、騒音があるLibertador($43)に3連泊もしてしまった。(昨日、手配次第 ではスタンバイもと考え、一度チェックアウトしているが)1/5にキトから北に席が あれば、もう戻ってくることはないが、望みが薄いので、結局1/7に1泊だけ戻って 来る可能性が高い。市内観光はもう魅力がなくなっている。というわけで、TV付きの 静かなホテルを探し始めた。4軒目にして一見高そうに見えるが$39の条件ピッタシの 宿を見つけた。Libertadorから5分以内と近いのだが、車の多い通りから石畳の曲が る 道にあって音が直接聞こえて来ない。(下記にてLibertadorと比較します) [地球の反対側] 夕食は木でできた立ち飲みバーで固いLOMO(牛サーロインステーキ)2200Pを食った。 年食ったケビン・コスナーに似ているウエイターがポツポツと話かけてくる。 ケビン「シルベスタ(酒)は飲まないのか?」 TAKT 「朝からワインで呑んで2日酔いなんだ」 ケビン「どっからきたんだ?国籍は?」 TAKT 「JAPAN.ハポン.」 ケビン「そうか地球の反対か」 手で円を書いて斜め上と斜め下を指す。 ケビンの何気ない一言に「はっ」とする。言われるまで意識していなかった。 うん、いい。「地球の反対側で初めての海外での正月」を迎える。 なんとなくいい響きだ。いきなり白昼夢モードに入る。 カウントダウンまで日本の正月とのGAPを楽もう。 ケビンちゃん(飯島 愛の言い方みたいやけど)には、TIPを300Pもはずんだ。 [カウントダウン1997] 教会前では、麦の穂にキリスト関係の絵のカードを差し入れた、ちょうど破魔矢を 連想させるようなものが売られていた。 いつも遅くまでにぎわっているPASEO ARMADA通り、28日には上空に浮いていた サンタのバルーンが消えていた。人通りもいつもより少なく(約1/5)、23時閉店の マクドやケンタでさえ20時に戸締まりしていた。地元のバーガー屋さんが2軒だけ 開店しておりいつもの3倍以上の混雑になっていた。 暑い所での正月が頭の中で全然繋がらなかったのだが、異変が起きたのは23時位 からだった。何処からともなくどんどん人が集まってきた。人が目指しているのは TV塔だった。30分前には、車を遮断して片道3車線の道路いっぱいの人だかりに なった。 {photo:t705_3.1997年カウント前の人通り}
今日だけ元気な花火の売り子は、花屋をどっかへ追いやってしまった。 日本のロケット花火の3倍長の花火は6本1000P。割高だが、買って。コーラ瓶の 発射台とマッチはホテルのロビーので準備。1分前からたて続けに点火。3本しか 飛ばず重くて弾道もフニャフニャ、危なくて1本付け直すのは中止した。もっと スマートな楽しみ方として、0:00と同時にシャンパンを開けている人がたくさん いた。中止した経緯を側で見ていた見知らぬおじさんが、開けて一番に飲まして くれた。スーパーで試飲したシャンパンも花火と同じ値段だったから、こんな習慣 があると知っていたら買ったのにと後悔していた矢先だった。ムチャクチャ感動 して、"グラシアス"を5回言った気がする。 0:03ホテル前でピックアップのおじさんと出会う。と、いきなり地上30m位の TV塔屋上から花火が打ち上げられた。来て・待ってて良かったと思った。3尺玉も まぜ15分間、花火は続いた。皆、これがお目当てだったのだ。花火が終わると人が 散らばりだす。フライトは2:30。自分もピックアップの車で来るとき30分かかった 空港までの道を15分ですっ飛ばした。