Circle Pacific −4−(イースター島2)

{うつぶせに倒されているモアイ像}

 
 第七日目:1996年12月25日(木)
 
 今日は、クリスマス。夕べあちこちで騒いで皆、休息。暇だったので、Vicky&Eva
姉妹を空港まで見送りに行った。Yさんは昼中ずっとベットの上、見送りの時呼びに
行ったが、気を利かせてくれたのか(1分前まで瞬きしていたのにャ^ヌキ寝入りだ
と思う)寝ていた。

{photo:t704_8.空港での激しい客引き合戦}
宿への帰り、ナナはランチリの食事工場で世間話。待っている間、ワゴン車の中で
エドガと話をした。
・ イースター島でアパート借りると$200/月。
・ イースター島<-->サンチアゴ往復はここで住民が買うと$600だそうだ。
 ゆっくりと帰ってきて、昼食にバナナを5,6本食べた。あとはテラスで海を眺めて、
 日記や絵葉書を書いたり、Yさんから貰ったロシア人著「イースター島の謎」を
 読んだりして過ごした。夕方、ナナが来て一緒に海を眺めた時、船を見つけて嬉しそ
うな声をあげた。意外に思って聞くと、食料や日用品を詰んだ船は、年間1or2回しか
来ないんだそうだ。喜ぶのも無理はない。スーパーに置いてあった1年以上前のミネ
ラルウォーターも納得がいく。
 
 [テーブルトーク]
 クリスマスでレストランが開いていないことが予想出来たので、今日は、ナナの手
作りディナーを頂くことにした。ピスコサワーと白ワイン、前菜、チキン、デザート、
Tea全部うまかった。昨日のレストランよりおいしかった。スイスジャーマン老夫婦
とアルゼンチンからの擬足のベルギー人(男性)と同じ便で来たKIWI(女性)、Yさんの
6人でテーブルを囲む。Teaを飲みながら、話しがもりあがった。海に入った後、水で
洗うor洗わないの話から、どういうわけかモスリムの話に展開。一番酔ぱらったベル
ギー人が興奮して5分ほどしゃべりまくった後、「もう寝よう」とYさんとスイス人
夫がはぐらかして終了。
 自分に取って英語が早すぎて、5分中、「富める人は貧しい人に分け与えなければ
いけない」の引用文と「モスリムはECが受け入れても決して自分たちのやり方を変え
ない。」の二文しか意味が取れなかった。部屋に戻ってから、Yさんに話しの内容を
教えてとお願いした。が、答えの代わりに、
 「文化を語るには、その国の気候・風土・習慣・歴史・宗教・政治etc.様々な事が絡
んでいる事を踏まえて説明すべき。その場合、近代の具体的な例を挙げて話す方が相
手にとってわかりやすいし、短く簡潔にまとまる。でも、タブーは宗教と政治。個個
人で対立する意見や価値観を持っている可能性が高いから。」
  と言われた。そういうYさんはベルギー人の話には反対意見の様子だった。
 日頃、漠然と特に韓国人との話に対して思っていた難しさを明確に言葉に表してく
れたような気がした。
 
    [ナナ]
 考え事が次次と湧いて眠れなかった。知恵熱かも。(^^;)そこで、やりかけだった絵
葉書の切手貼りをする。ナナがディナーの後片付けをしている。朝ビッコをひいてい
たのでシップ薬を塗ってあげたのだが、“だいぶ良くなった”と礼を言われた。
 ”昨日は酔っててどこで傷めたのか全然覚えてないの。家でじっとしているとサンチ
アゴで入院している父の事とか考えてしまって暗くなってしまうから、昨日は友達の
家で朝6時まで飲んで話してたの。ダンスでくじいたわけじゃないわ。今日は7時起
床。1時間しか眠ってないし、2日酔いで辛かった。”
 突然、身の上話されて内心ドギマギした。慰めにも何にもなんないけど
 TAKT "You'll sleep well tonight, Nana"
 と言うと
 ”そうね。ブエノスノーチェス”
 ナナは精いっぱいの作り笑顔でドアの向こうへ消えていった。
 そうか、「おやすみ=ブエノスノーチェス」って言うのか。
 ナナの日中忙しく動き回っている姿と今の寂しそうな表情が頭の中でかわるがわる
 巻戻し再生される。あ―――――――――あーゆー時、なんで気の効いた言葉が出て
きーひんのやろ。
 考え事が次次次と湧いてきて眠れない。
 
 第八日目:1996年12月26日(金)
 
  ナナは、朝は機嫌がよかったものの今日も客を引っ張ってこれず、落ち込んでいた。
お気に入りのテラスでのんびりしていたら、日本語のHOTEL紹介文を書いてとせがま
れたので「O.K.」って安請け合いしてしまった。今日は、待望の銀行が開く日だ。で
も行って調べてみるとコミッションは$18。少ないドルで食いつなぐかとあきらめる前
にナナに相談すると、「ガソリンスタンドが手数料無しで闇両替やっている。」と教
えてくれた。無事、$200TCを41500PESOと$100ドルcashに交換することが出来、ほ
っとした。
 行く道の途中でナナ推薦の貸しバイク屋に寄り、マウンテンバイク8hr.を予約した。
午後4時〜取りに行くと、若い兄ちゃん昼の交渉したのより高い値段を言ってきたが、
昼の経緯を言う渋々応じてくれた。値段は有って無いようなものかもしれない。
 チャリのペダルをギコギコこぎ、AKIVIを目指す。モアイのバックにSUNSETを眺め
るのが、今日のテーマだ。だから西海岸の道を帰り道に取っておいて、行きは山道を
通る。石がごろごろ、坂は急、もし乗ったことのないオフロードバイクを借りていた
ら確実にこけていただろう。チャリはボロく、TOPギアで力を入れるとすぐチェーン
が外れる。苦労したが、なんとか10kmを1時間で走破。ダートは舗装の2倍かかると
読んでいたが予想通りの結果だった。
 
    [AKIVI]

{photo:t704_1.アフ・アキビ}

  海に向かって立つ7体のモアイ像が見れる。町から離れていなければ、モアイと共
に夕日を眺めるという計画を実行したのだが。テント用具も持っていないし、街灯の
ない真っ暗なダートをチャリで走る無謀さは持ち合わせていない。ゆっくり休憩をし
ようと、モアイの影でバナナや水を飲食してたらツアーワゴンが来て写真とるから退
けと言う。うざったいツアーが、10分で走り去ってからしばらくモアイと写真撮影に
こだわった。飽きるまで7体のモアイを一人占めした後、海岸の道へ下って行った。
すると、海との中間位行った農場に町中で道を尋ねた時、
 「AKIVIは俺ん家だ。あっちの方向へ行けばいい」
 なんて答えてくれた白馬に乗った変なおじさんが手を振ってくれていた。こっちもう
れしくなって手を振った。下りきると海へ出た。眼下は30m級の崖。道は山側よりま
しで、下りが多かった。途中、通り雨に2回逢った。また、逢った人は90才位のおじ
いさん1人。オラ!アミーゴ!チャオ!しか言葉は交わしてないが、皺枯れた声と皺
の深い笑顔が良い。通り雨の時、各10分位傘をさして休憩し、閉館していたがガラス
張りで中が見れる博物館を見た後でおじいさんと再会した。

{photo:t704_2.深い皺の感じが良いおじいちゃんと}

 TAKT”じいさん、歩きなのに早いね”
 ゼスチャ−会話の為、なかなか伝え難かったが、なんとか伝わった。さらにカメラを
見せ、
 TAKT“一緒に撮ってもいい?”
 と聞くと、おじいさんは、無言で頷いてくれた。芝の上に、ミニ三脚を立て、写真を
一緒に取った。逆光だったけど無性に記念に残したかったのだ。取り終わると、写真
の用意をし始めてから動かなかったおじいさんが、腰掛けていた石から立ち上がった。
 おじいさんは、芝刈りを終え、多分自宅へ帰りった。そして、自分は、町へ、お互いに
“チャオ”“シャオ”と言って反対方向に別れた。

 そこから、10分位で、町に一番近い目玉付きのモアイにたどり着いてしまった。20
時だが、日はまだ高い。しかたなく、モアイの影で90分のSUNSET待ち。2重の虹や
夕焼けを写真に納め、土産物売りがつれていた犬と遊んで時間をつぶした。が、結局、
最後の最後に、海上に雲が張り出し完全な半円のSUNSETは今日も見れなかった。
モアイと太陽

 宿に帰ると、ニジェール帰りで、36才の青年協力隊を終了した日本人がいた。久々
の客としかも仏語で話せたナナは上機嫌。おかげで、ピスコサワーを一緒にご馳走に
なった。しかし、初対面で
 「私は良性マラリア持ちです。伝染はしませんけどね。」
 なんて自己紹介されて面食らった。多分、彼はそんな反応を見て、ささやかな旅先
の楽しみにしているのだろう。にしても良性マラリアとは、初耳だ。
 「一応、外務省管轄なので、渡航自粛勧告の出ているペルーには寄れなかった。」
って話しもあり、今回の旅行では、マチュピチュは諦めよう、と思った。
 
    第九日目:1996年12月27日(金)
 
 観光局ではマークされなかったが、本では、その精巧な石組みが絶賛されているVIAHU
へ歩いて行った。距離は町から5Km。歩いていると車やチャリと視点が変わって色ん
なものが見えてくる。道に落ちているフリントストーンを拾ったり、道の脇から突然
牛や馬がトコトコ出てきたり、のどかだけどワクワクゾクゾクする発見が多いのだ。
普段は気にも止めない花も珍しいものが多いなぁなんて好奇心をくすぐってくれる。
目的のVIAHUは日本にも城跡で見たことある様なものだったので感動は無し。背面に
回ってようやく気付いた位だから、観光局でわざわざ印しを付けてくれなかったのも
納得。でも、今日は満足だった。歩く楽しみに加え、牛追いと採石場も見れたから。

{photo:t704_6.人馬一体と犬で牛追い}

 
 [LAST DINNER]
  レストラン「KITAI」にてナナの口利きで割引があり、白ワイン付きで$10強だった。
物価の高いこの離島では上出来だ。おばさんが一人でやっている。ワインを頼んだら
ふらっと外に出て行き、スーパーで買ってくる強かなシーンが見られた。でも、バレ
バレなのに値札を一生懸命はがしている様子は、かわいくておかしかった。(ちなみ
にメニューに白ワインの標記があったので注文したのだが)
 
 第10日目:1996年12月28日(土)
 
    朝食時に軽い気持ちでスペイン語教えて、なんて言ってしまったので、朝から
Jane(アルゼンチン在住のkiwi)のスペイン語講座が始まった。自分の知りたい文例を
英語でメモし、渡すとその横にスペイン語を記入してくれ、発音の練習をする。つま
った所は、カタカナでメモした。「ハ」意外は完璧よってほめられた。スペイン語は、
日本人にとってカタカナ読みでほとんど発音できるようだ。そのうち、Janeは日本で
6ヶ月英語教師をやっていただけあって、教師魂が疼いたのか、だんだん熱が入って
きた。紙をナナから貰って、ちぎり、数字の単語カード(1〜100,1000)を作り始めた。
昼のFLIGHTへのピックアップの車が来るまで、フルに勉強が続き、復習としてTEST
をされた。1〜79まで言った時、出発の時間が来て解放された。
 一方、ナナから安請け合いした紹介文は、隣でYさんがやってくれていた。こちら
もARTISTだけあってだんだん熱が入ってモアイがバイバイしてるイラストまで書い
ていた。そのA4一枚の紹介文の威力はすさまじく、ナナは空港でいつもより大漁の7
匹の旅行者をgetした。
  実に中身の濃い時間だった。
 
 [チリ本土へ]
   LA036便  IPC 1325 -->SCL 2015(飛行時間4hr)
 時差−3hr.
  初めて見るアンデスは赤く、風が無いのに木々はしなっていた。


太平洋周遊・初めての南米
世界あちこち旅日記