ベトナム縦断*旅日記 第2日

  
  −−−−−− ベトナム縦断9日間旅日記 ― 第2日 −−−−−−

{2日目;9/20(日曜日)}

[ゆっくり無茶苦茶効くクーラー]
  あまりの寒さと乾いた喉の為、朝方2度程起こされた。が、また寝ていた。ク
ーラーは、サーモスタットとタイマーがない。あまり効かないと思っていたけど、
立ち上がりが悪かっただけで、一生懸命仕事をしてくれた様で、おかげで朝は寒
さによる震えとキツイ脱水症状にフラフラしながら、目覚し時計とモーニングコ
ールに対処する。ロビーの冷蔵庫から水を貰って寝ぼけ眼のまま、ツアーのピッ
クアップワゴンに乗り込んだ。

[どこか郊外]
  今日の1日ツアーは、2時間走って、名も知らなかった廟へ行き、その後、目
的のビッグドンに行く。ピックアップの時に起こされつつも、この最初の移動が
2時間もかかるということを考えて、ワザと眠たい状態を維持していた。1時間
程眠ってやっとすっきりしたので、宿で昨夜買っておいたリンゴをかじった。「朝
買っといてくれると宿のオバサン約束のバナナ」はなかったので、あとの食料は
日本から持ってきたサラダ味のポッキーだけだ。ガソリンスタンドに止まった時、
ガイドにリンゴの芯を指差して「自然にかえしても良い?」と聞くと「床に落と
しといてもいいよ」と言いつつ、なぜか開いている隣の席に座ってしゃべりだし
た。
郊外の風景は、水田・牛・チャリをどけるのに鳴らすクラクション、、、去年
行った上海周辺と比べてさほど変わらない。少し舗装道路の凸凹が小さいのが救
い。まぁ、それでも、いくつか、自分にとって目新しい事を見つける。
  チャリやバイクに乗っている人で円錐形の麦わら帽子が目につく。ベトナムを
代表する物といってもいいかもしれない。
TAKT「あれって幾らするの?」
別に買うつもりもなかったが相場を知るには良い材料と思った。
GUIDE「5000ドン(50円)。でも女性用だよ、普通は。名前は、、、、、。」
ガイドはおしゃべり好きなようだ。聞いていない事まで教えてくれる。でもイヤ
な感じではない。改めて見てみると、確かに97%は女性がかぶっていた。
  竹の葉で包んだ煉瓦大の食べ物らしきものが、道端に出した机上に積まれてい
た。
TAKT「あれは何?」
GUIDE「炊いた米と2種類の豆が中に入っている。」
TAKT「皆の一般的な朝飯?」
GUIDE「朝飯に限ったわけではないけど、皆、結構、食べたい時に、いつでも
食べる。」
なまりがキツクて少々聞き取りにくいものの、やさしい単語でゆっくり話してく
れる。まだ、自分の中で本調子でない「英語の頭と口」にはちょうどいいお相手
だ。
また、水田と牛が主な風景になってきたので、いつの間にかトロトロと眠っ
ていた。車の窓から差し込む強烈な日差しとワゴン車のクーラーが心地いい。

[初代KINGの廟(名前はHOA  LOだったか?)]
門構えは中国でも見た事のある形。長方形が3段くらい重なっている。
廟の瓦は中国の宗時代のものと類似。明るい橙色で横から見ると平べったい
凹凹の形を横にくっつけた形をしている。中には、10世紀に生きていた初代の
王様が肌色のテカテカした顔で座っていた。15世紀に作った彫像だそうだ。こ
の手の仏像などの彫像で肌色や金ピカものはどうも苦手だ。嫌悪感さえ感じる。
これは、奈良県で生まれ育った自分の頭に、くすんだ銅や石でできたものが刷り
込まれているからだと思うのだが、多分、その原風景に相容れないのだろう。
王とその息子の顔にも違いがなかった。この点はモアイよりひどい。自分の
興味を惹いた物は、供養用のお金・円月刀・太鼓・神輿 等のわずかな小物類だ
けだった。太鼓に毛がいっぱいついたままだったのには笑ってしまった。

[昼食]
ベトナムについて初めてのまともな食事(^^)。小腹のすいていた昨夜はインス
タントラーメンだった。初めて食べる北ベトナムの料理は、ポテトチップス・炊
いた長粒米・揚げ春巻・肉野菜炒め・野菜炒め(フキのとうの茎みたいなの)・ス
ープだった。
味は全てうす味。おいしかった。特に野菜炒めがおいしかった。気に入った
のが緑黄色野菜なのも体に良くてGood!上海のチンゲンサイと共にHitだ!。

[オリエンタルに弱い欧米人、和を貴ぶ日本人]
昼食後、ガイドから提案があった。
「ビッグドン観光(手漕ぎ船)の後、全員合わせてUS$25の追加料金を頂けれ
ば、オリエンタル文化と融合した教会へ連れていってあげる。但し、30km離れ
ているので帰りは2時間くらい遅れるけど。」
ツアー客の構成は、ベトナム人3,日4, 仏5,スペイン1,米1,豪1の15人だっ
た。各自の反応は、
日本=あんまり期待できないので、金と時間かけてまでわざわざ
      行きたくない。でも、皆行きたいなら行ってもいいよ。
ベト=まぁ、せっかくだから行ってみたいかな。
他  =是非行ってみたい。
っと、はっきり分かれた。普段触れている文化の違い、それに反比例した期待度
がくっきり分かる結果だ。そう、欧米人はオリエンタルって響きに弱いのだ。同
じ旅するものとして気持ちは分かる。異文化であればあるほど好奇心が掻き立て
られる。そもそも旅でその場所に行きたいという動機の大部分はそういったもの
だ、と思う。結局、和を優先する日本人がその気持ちを汲み取って、全員O.K.。
となった。ただ、皆の共通認識として一人当の金額が大きいという感じはもって
いた。第一、25は15で割り切れない。
そこで、一番、情熱の大きかったスペイン人が一人US$1の全部でUS$15で
どうかとガイドに交渉した。ガイドは、ドライバーに幾らか渡さないといけない
からとか、渋っていたが、スペイン人の
「僕らはすでに一人当US$15も払っている。」
の交渉に引き下がった。(――>様に見えた。後述)論点を絞りグイグイ押す交
渉術には、思わず、「うまい」と感心!。

[ビッグ・ドン]
編み込んだ竹と泥でできた船に1〜5人が乗り込む。客が2人までだと船頭は
1人だが、それ以上だと、船頭は2人。この二人は漕ぎ手と突き手に役割が分か
れる。自分の船は先のスペイン人とデジカメ持参の日本人の3人で乗り込んだ。
湖か川かは知らないが、両側にはズングリと楕円を描いた70m級の岩が壁に
なってそそり立っている。その間幅100〜200mの湿地に水草が茂り、幅5〜15m
の水路を、しばらくのどかに進んで行く。中国の景勝地・桂林に似ていると読み
聞きしたが、絵葉書で見た事のある景色と遜色はなかった。途中4度、40m級
の岩の下をくぐり、鍾乳洞の様になっている様子が見れた。また、0.5mの段差
を越えるのに、船から降ろされ、船だけを引っ張り上げる所も一個所だけあった。
ここで、この船が非常に軽くできている事が分かる。
{photo:落差70cmを2人で引き上げる}
  漕ぐ水音だけだったら、非常によかったのだが、水草の中のアヒルが、グエグ
エ。横壁の崖に立っている山羊がメェーー。時々沁みてくる船底の水を掻き出す
忙しない音。っと、うるさかった。だが、穏やかな時が流れた。

{photo:牛が舟に突進してくる、、、なんてことはない}

{photo:鍾乳石の下をくぐる}

{photo:両足だけで器用に漕ぐ}

{photo:桂林に似た岩山}

  中間の折り返し地点は、同じく手漕ぎ船に乗ってきた商売人達でごった返して
いた。ビールやジュースが$2。いらないというと船頭へのチップとか言いつつ、
値段を下げて粘る。結局半額以下の各10000ドン(=100円)で、これも飲まない
でリサイクルされるんだろうなぁ。と思いつつ、船頭達に買ってあげる。少し買
ってやると横で粘っていた商売人はおとなしくなった。船頭にとってしばらくの
休憩の間、僕らは、川の辺で小魚を餌に小さな竹竿で釣りの真似事をしている姉
弟と無言ながらじゃれあっていた。背後で母親がはしゃいで川に落ちそうになる
弟を抱き留めている。ほっとする。和やかで懐かしい香いがした。

{photo:折り返しの水辺}

復路は、同じ時間をかけて同じ様な景色の中を進む。後ろでは、物売りに変
化した船頭の一人がTシャツや刺繍のテーブルクロスなんかを出してきて閉口し
た。ようやくそれも終わり、退屈した自分は、スペイン人を英語で話をした。狭
い船の中隣同士、悪いがこっちのペースに付き合ってもらった。お互い職業や旅
行の話をしている内はよかったが、話題は欧州通貨統合の事等だんだん高度にな
っていった。スペインを旅行するなら暑い夏は交通費等が大幅割引になる制度が
ある、なんて情報もあった。
船が、スタート地点に近くなった頃、チップに5000ドンくらいが妥当かな。
なんて考えていたら、船頭のおばさんの方が、"Tip, Tip, Tip!"と言った。チップ
が当然!なんて嫌らしい言い方に燗に障った自分は、露骨に嫌な顔を見せ、降り
際にも、Tipをやらなかった。スペイン人は2000ドン手渡していた。それに対
する船頭の反応は、少ないと不平を言っっていたが少し笑っていたので、妥当な
額に思えた。ベトナム南部から旅してきた人だからその相場感覚は頼りにして良
いと思った。どうも中間であげた飲み物よりも現金の方が嬉しそうだった。金の
方がいいのか、、、。ベトナム人の事が少し理解できた様な気がして、、、その分、
悲しかった。

[オリエンタルに弱い欧米人、和を貴ぶ日本人、そして金に執着する、、、]
船を降りると、ガイドは数分後に町に帰ると連絡してきた。US$15で妥結し
たかに見えたのにガイドは頑固だった。結局、US$25儲けられなければダメと
いうことらしい。そのまま帰路についた。一番、興味を熱く語っていたスペイン
人はかわいそうなくらい落胆していたが、無言のまま、それ以上、交渉をしなか
った。こちらも意地があるってところか。個人的には、帰りが遅くなって、まだ
地理の把握できていない町のどこかに置いていかれるのは少々不安があった。だ
から、よかったことはよかったのだが、、、。スペイン人に慰めの視線を向けると、
残念だけどしょうがないなって視線が返ってきた。

[通り一本、把握]
  行きはホテル前でピックアップしてくれるが、帰りは市内の目印になる湖のそ
ばに落された。HPで見た通りだし、予めガイドに確認しておいたから、ショッ
クはない。ベトナム人のサービス精神はここまで、、、ってところだろうか。スペ
イン人とは、なごり惜しく言葉を交わした。ガイドに方向と位置を確認して、一
緒に行動したそうな目をしていた日本人をドライに振り切って、ようやく一人に
なった。祝日のある週なため、日本人が多い。旅していると敢えて群れたい(さ
びしい)時もあるが、まだ、自分の目でこの町の構造を把握していないこの時は、
一人になって色々考え見る必要があった。まぁ、基本的に、海外で日本人と群れ
るとせっかく異なる文化に触れるチャンスをミスミス逃がしている様な気がして、
もったいない気がする。
ホテルまで、直線距離にすると1.5km。でも、地図を眺めていて、「くの字」
に遠回りすれば、単純に自力でたどりつけそうな気がした。夕暮れかかった明か
りの中、湖を左手に見ながらのんびりと南下する。遠回りしても2km。大した
距離じゃない。帽子売り1人、絵葉書売り2人を「いらない」「5000ドン」と
いう一言で蹴散らしてゆっくり歩く。HPに絵葉書は書店で6000ドンと書いて
あった。さすがにいきなりそれ以下の値段を指し値されたら、引き下がるだろう。
実は、囲んで物取りするガキ達だとか、スリだとかを警戒して歩いていたが、
それらしい雰囲気はなかった。そういった噂のネタはホーチミンなのかも知れな
いと思った。周囲の景色を確認しながら一直線にホテル近くまで伸びるグエン・
タイ・ホック通りを歩いていく。中華航空の看板、バイクの洪水が止まらない5
差路、アスファルトに埋まりそうな線路(単線)、スーパー、文廟、最後に中学
生くらいに見える警官に筆談と身振りで1回たずねただけで帰ってくる事がで
きた。でも、「2F部分に40cm各くらいに張り出しただけのホテルの看板」は非
常に見つけにくかった。朝も今もバドミントンのラケットを握っていた宿主の奥
さんがいなければ、わからなかっただろう。
  そういえば、バトミントンとサッカーが流行っているのかな?結構見かけた。

[シェアしたおじさん]
部屋に戻ると、昨夜シェアしたおじさんは、シャワーを浴びた後でくつろい
でいた。お互いに情報交換。おじさんは、暑い中、市内の主な所を結構歩き回っ
た様だ。話がなかなか途切れず、こちらがシャワーを浴びるまで大分時間が過ぎ
ていた。
水シャワーが気持ち良い。服を着ながら、また話。どうも、聞いている印象
では、今日の廟程度の感動しか得られない様な気がしてきた。また、おじさんの
チップのあげ方が雑な様な気がして、少し、やだった。でも、10円とかでスム
ースに事を運んだり、色々話を弾ませている様子は、言葉ができないと言ってい
る割には、叔父さんなりにこなれた旅を重ねている感じがした。話に一区切りつ
いたところで、一緒に夕食でもと思ったが、おじさんがディスコの話をし出す。
「21時OPENで相場は、、、。」
(クラブじゃないんだ、、、また、話止まらなそうやな、、、。)
  まだ時間があるから、まあ、小札(ベトナムの現通貨にコインはない)だけ持っ
て、探しながら食事しよう。ってことになった。この時改めて、おじさんの名は
Oさん(以下O叔)。と姓名を名乗り、自分はTAKTと名前を名乗った。

[ディスコ探し]
ディスコ、ディスコと言っていた割には、O叔、抜けていた。住所を全然控
えてなく、この辺りって地図しか持ってきてなかった。暇そうな薬局の旦那に聞
いても分からず。かまってきたバイクタクシー(以下、バイタク)にチョロっと
聞くと、
「知っているから乗れ、すぐだ。」
と 猥雑な笑顔で言いつつ、肝心の場所は教えてくれない。あかん論外や。そも
そも利害関係の発生する人に聞いたのが間違いだった。その後も2,3言葉を交わ
し、どうも、ディスコ「サイケ」は潰れて、目の動いた方向からディスコ「メタ
ル」の場所に当たりがついた。
その少し派手な通りに一際派手な門構えでディスコ「メタル」は見つかった。

[ビアホイ]
見つけたディスコ近くに隣接するフルーツ屋3軒の中で1軒だけ、ツーリス
トプライス(突飛なボッタクリ価格)を言わなかったおばあさんの店で、スター
フルーツ(2個5千ドン)を買う。O叔はリンゴ(2個1万ドン)を買った。リンゴ
が高いのは輸入品だから???と首をかしげるが、ビッグドンではモンキーバナ
ナが1房2千ドン(=20円)だったし、現地物価の感覚がまだ付いていない様な気
がする。でも安い。角を曲がった先にビアホイが2軒。薄暗いBAR風と大衆食
堂風。迷わず大衆食堂風の方に入る。
わけもメニューもないまま席につく。「有料のおしぼり」とハーブが手際良く
でてくる。O叔は、お決まりの様に「ビール」。メニューがわからないので人様
の食べている物を指差す。肉焼いてハーブの上に乗っけた皿。ラーメンみたいな
の。水。を頼んで一息つく。指差しオーダーは久ぶりで恥ずかし楽しかった。ま
た、明らかにチキンのレバーという物を除けば、この店ででている品はそれらし
かなかった。やがて出てきて食べ出す。焼き肉は薄塩味の砂肝だった。ラーメン
みたいなのは、麺が米粉製で平べったい腰のないやつ、汁が薄塩味に少し酸味が
あって不思議な味がした。中華のスーラタン麺から酸味50%カットとトロ味を
95%カットしたようなものだ。う〜ん余計説明をややこしくしている気が、、、。
とにかくうまかった。ハーブの中で細長い葉っぱはミント味がキツかった。また、
その他2種類も、共に清涼感を感じさせるものだった。ハーブのお通しってのは、
フランス統治の名残なんだろうか?モロッコでもメンテ(ミントティ)だったし。
なんて思いつつも盛り合わせの半分以上も食べてしまった。
途中、隣に座ったカップルの男が英語を話せた事から、O叔と彼女は母国語
で、自分とカップルの男との頼りない英語を介して、妙ちくりんな会話が始まっ
た。世間話や自己紹介が終わり、ベトナムには18才〜2.5年間兵役があって、
例外として18才の時、学生なら免除。なんて話もわかった。そうこうするうち、
男はポケベルで呼び出され、名刺の旅行会社に去っていった。食べ物はなくなっ
ていた。腹八分目だが、満足して出た。お代は2人で6.8万ドン(=680円)だっ
た。

[ディスコ・メタル]
入場4万ドン(=400円)。1Fはカラオケ。2Fに上がる。曲は3〜15年遅れ。
センスは、少しジュリアナっぽいハウス系中心であまり好きではない。部屋は円
卓8,9個、10mもないカウンターと奥のソファー。そのソファーは、常連客ら
しい人達で占められている。中央に10m角のダンスフロアー。右手にCDとシ
ンセでそれらしくしているDJブースと専属ダンサー2人分専用の小さなお立
ち台。それだけだった。
入っていきなりママさんに上のVIPルームにどうぞと誘われたが、断った。
上を見上げると暗がりの中、人相悪い兄ちゃんが笑っているのが見えただけだっ
た。ダンスフロアーで踊っている年齢層の中心は中高生くらい。偶に無理して踊
っているなって30代がチラチラ。隣の隣で円卓に座っている女の子二人連れは、
中学生くらいにも見えた。無理して塗りたくった化粧がそう感じさせるだけかも
しれないが。
  綺麗な女の子は店の踊り子とウエイターの方だった。特にショーとして見せる
時間に出てきた8人のダンサーは無茶苦茶綺麗で上品そうだった。
フリントンでもスターでもないのでインターネットでこれ以上詳しく書くつもり
はないが、情報として下記を列記します。分かる人はこれだけで分かるでしょう。
  ビール                3〜4万ドン
  カクテル              4万ドン〜
    ソフトドリンク        3万ドン
  店内1時間            6万ドン
    店外1時間            US$ 70
    店外1晩              US$100
O叔の仕入れていた情報よりもUS$10くらい高かった。
    閉店は24時頃。getできなかった男のみが寂しく激しく踊っていた。
    場所は、グエン・タイ・ホック通りを東進、線路を越えてから右手1つ目
の曲がり角で右手45度を見てみよう。派手なネオンですぐ分かるはず。

[24時になると閉まってしまうホテル]
  夜の娯楽はまだ少なく、24時頃の町の建物はほとんど閉まっていた。ホテル
でも「夏の安全キャンペーンの為」なんて理由を言われたが、ほとんどのホテル
は24時前に閉まってしまっていた。


観光初日から、なかなか充実した一日だったんではと思う。
明日はのんびりと市内観光。のつもり。

続く−−−−−− ベトナム縦断9日間旅日記 ― 第3日へ −−−−−−


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