ベトナム縦断*旅日記 第4日
{photo:素朴な遊び「棒たて」}
−−−−−− ベトナム縦断9日間旅日記 ― 第4日 −−−−−− {4日目;9/22(火曜日)} [復活の朝] 朝、風邪は、大分良くなっていた。同室のO叔が気を使って、クーラーをコ ントロールしてくれていた。お陰で自分は水の入ったペットボトルを片手に眠り、 風邪を直す事に専念できた。 朝飯に野菜炒めと目玉焼きを取ってガツガツ食う。いける。 [送迎] 宿主のタンさんは、前日約束した通り中華航空に連れて行こうとしてくれた が、連れていってくれた場所は中国西方航空。ベトナム人が漢字を読めないのは、 本当だった。時計のベルトの修理も約束してくれていたが時間が迫っていた為、 次にベトナムエアーのオフィスまでバイクで送ってくれた。後でわかった事だが、 多分US$75のチケットを$86で売ったのだ。平均月給US$100のベトナムで彼 が手にしたのは$10以上、彼にしてみれば自発的にサービスしたくなる利幅だ。 この時点でもある程度、分かっていたが、自分は何も知らない日本人観光客の様 に、彼の行為を好意として受け取った演技をした。試しにチップ20000ドン(=200 円)をうやうやしく差し出したが、予想通り彼は受け取らずに去って行った。 人間的には、日本人びいきのタンさんとその家族はいい人だった。食事も安く ておいしいものを買って調理してすぐに出してくれた。しかし、現地ツアーに参 加するにはロケーション的に良くない。クーラーもあまり良くない。その上、水 シャワー。だから、他人にはお勧めできないが、今度、もし、自分がハロン湾に 行きたくなったら、また、ここに来ようと思った。5年、10年後に訪ねていっ たら、タンさんは、覚えているだろうか?引越ししているだろうか? クーラーを代え、給湯機を付ければ、もっと居心地のいい宿になるだろう。 [欠けた紙幣:発見] フエへのチケットは11時発。エアーポートバスの料金はUS$4。$10札を差 し出したら、突き返された。大きな金がだめなのかと思ったが、端が少し(2〜 3mm×10mm程)欠けていたからだった。 その場は、$1札4枚で払った。が、まだ自分は事の重大さに気付いていなか った。 [リコンファーム(予約再確認)] たかが国内線の為に2時間も前に空港に着いてしまったので、チェックイン したもののすごくヒマだった。リコンファームが、町中でできなかったので、こ こでトライしてみた。中華航空のオフィスは真っ暗で誰もいなかった。台北から 来る時、共同運行便だったベトナムエアーでできるか聞いてみたが、やっぱでき ない。中華航空のオフィスは空だった事を伝えると、一生懸命に中華航空の電話 番号を調べてくれて、「公衆電話は?」と聞くと普通の売店を指差された。 売店の電話は$1/1分の時間貸しだった。市内電話にボッタクリと思ったが 他に手段がない。クソっ、足元見やがって。内頬をかみ締める。 電話の英語は難しい。避けていたがやってみるしかしょうがない。いつもは、 “Hello,Please recomfirm my flight.My name is TAKT.M. My flight number is CI *** at 27th sep.” パターン化して暗記した言葉全文をゆっくりと、言葉を切らずにしゃべる。予想 外の事を聞かれてこっちの言うべき事が伝わらないのが恐いのだ。 でも今回は、航空券に変な紙がくっ付いていた。「予約番号8******」(なんだこ れは、、、これ、言えば分かる様になってんのかなぁ?。) “Hello,My resavation number is 8******.Please recomfirm!" 頭の中で予約番号の英訳している内にすぐつながった。慌てて言った為に、番号 を言い直した。すぐに自分の名前が呼ばれた。まぁ、少しは、システム化されて いるみたいだ。その後、何故かハノイで泊まっていたホテルの名前と住所を聞か れて答えた。今日出てきた、この旅行中戻る事のないホテルを連絡をとるわけで もないのに何故聞くのか?と思い、 TAKT「自分は、これからフエとホーチミンに向かう、ハノイのホテルでいい の?」 受付「いいんだ。問題ない。」 (なんとなくお役所的な意味のない手続きに訝りながらも)とにかくリコンファ ームが無事完了したことに安堵していた。本当は、こんなことしなくてもいい航 空会社もあるんだから、早く全ての航空会社がそうなって欲しいもんだ。 [欠けた紙幣とヒマオヤジ] 電話をかけた売店でも先の欠けたUS$10紙幣は、受け取ってもらえなかった。 この国の人は必ず紙幣を広げてしっかり確認する習慣を持っている様だった。到 着ロビー前にある銀行も当然の様にoutだった。 自国通貨なら銀行で綺麗な札に交換または両替も可能だが、ここは、ベトナ ム。いくら町中で普通に米ドル紙幣が通用する(場合によっては、ドンよりも価 値が高い事もある。)といっても、所詮他国通貨なのだ。銀行員の説明は理路整 然としている。 TAKT「この紙幣は、この国でお釣として貰ったものだ。だから、この国で回し てくれよ。」 自分のくだらない感情論は、言ってる本人が一番空しい。もちろん、そんな理由 に対し、情にほだされて両替してやろうってバカもいない。 気がつくと、到着便をひたすら待っているだけの暇なタクシードライバーが30 人ほどギャラリーとして集まっていた。その数の多さに少し危険を感じ、平静を 装いながら、足早に立ち去ろうとした。すると、その中の細身のオヤジが、1人 で追ってきた。 オヤジ「20千ドンで両替してやるよ。」 なに???レートは、、、US$1が14000ドンなのに(ムっっとして) TAKT「冗談!だれが替えるか、そんなレートで。」 オヤジ「じゃあ、100千ドン」 TAKT「(おいおい)レートはUS$1が14千ドンだろ。 だったら、140千ドンやんか。」 オヤジ「その札は欠陥品だろ、だから、割り引いた価格で引き取ってやろうって いってるんだ。」 目が笑っている。(始めっからからかうつもりやってんな。こいつっ。) TAKT「もういい!アメリカ行って交換してくるから。」(これは、半分マジ!) (くっそー、暇つぶしのネタにされてもーた。) しばらく、日記や絵葉書を書いて、間をおいた。そして、国内便なのに取ら れるのが不満の空港使用税(20000ドン)を払いに行った時、例の札を4折りに たたんで出してみた。(こうなりゃ騙し合いや。) と、背中をポンっと叩かれた。振り返ると、さっきのオヤジがいたずらっぽ い笑いを浮かべてスタスタ外に歩いていく。(ヒマな奴。)一旦受け取ったオバサ ンは、、、やはりチェックされた。やはりだめか、、、。手持ちのドンがだんだん少 なくなっていく。 自分はポーカーが弱い。感情がすぐ顔の表情に出てしまうからだ。事の成り 行きをオバサンから見て死角になる位置から一部始終見ていた先のヒマオヤジは、 絵葉書を書きにロビーに戻った自分のそばにすーっと寄ってきて、 「フエならうまくいくよ。」 とポソっと言って、いたずらっぽい笑顔を一瞬向け、又、到着ロビーの方向へ去 っていった。 ヒマオヤジが少し良いヤツに見えて、殺伐とした心が少し暖まった。でも、言 葉の裏を読めば、「フエ人は純朴な田舎者だから、うまくダマせるよ。」ともとれ る。可哀相な気もしたがこのままUS$10もの死に金を持ち歩く事も、ベトナム で掴まされた悪い紙幣だと言う事も総合的に考えて、この旅行中に絶対両替させ てやるんだ。と固く心に誓ったのだ。はっきり言ってしょーもない意地だ。 [フエへ] ハノイ-->フエ間は1.5時間の短いフライトだった。両サイド2列×14〜17列 の座席。プロペラ機だた。4Aの座席はプロペラ横だったので、結構うるさかっ た。 機窓からの風景は、水を潤沢に貯えた水田と褐色の水路が続いていた。その 水量の豊富さに少し驚いた。だが、自分にとっては、新鮮味のない、すぐ飽きる 風景だった。 [欠けた紙幣:妥協] フエに着き、エアポートワゴンのチケット(US$2)を買う。この時折りたた んだ例のUS$10紙幣をさりげなくポケットから出し、釣りの100千ドンを貰っ た。レートが悪いと軽く(ヤブヘビになって、バレたら困る)ゴネたが、オバサ ンは同情の余地がない程オバタリアンだった。こうして、忙しく客を勧誘してい るエアポートワゴンのカウンターに、意地と思い入れの乗っかった「欠けた紙幣」 は無事紛れていった。(へへっ、ざまーみろ。) [ワゴン内:またまたしつこい宿の勧誘] ワゴンは、空港から20分程で町らしき場所に入っていく。そこで、またまた 横に乗ったワゴンの職員が宿の勧誘をし始めた。ハノイと同パターンだったので 別段驚きもしなかったが、毎度毎度、疲れる展開だ。先ず、ホーチミンまでの航 空券を押さえてから、宿探し、観光、をしたい自分は、ガイドブックにこのワゴ ンが市中のベトナムエアーオフィスに到着する事が書かれてあったので、そこか らスタートするつもりだった。 TAKT「ベトナムエアーオフィスに行きたい」 と言い続けたが、 職員達「今は昼休みだ。あと30分はオフィスが開かない。安い宿を紹介する。」 と全然取り合ってくれない。調べてはいないが、多分昼休みという言葉は嘘だろ うと直感がつげている。が、彼女達は手恐かった。おおよそ、ベトナム人は自分 の金儲け(副業)最優先!顧客満足度なんてのは二の二の次の様だ。その点では、 フエはハノイの遥か上を行っていた。お目当てはホテルからこっそり頂く紹介料。 こちらには、見た目上直接害はなさそうだが、かわいい顔してキツイ性格の女性 職員2人のキンキン声がうっとおしい。 歩いて行ける場所のホテルの名前が挙がったので、 「わかったわかった!タンロンでいいよ!それでいいんだろ!」 やっと静かになり、荷物を受け取り、地に足を付けた。 ふぃ〜〜、まるで、だだっ子をなだめている気分だ。 タンロンHは、値段の割に設備や広さがまずまずだった。だが、体調が今一 なので、クーラーに温度調節とタイマーがある部屋にこだわった。結局、部屋に よってクーラーの性能が違い。妥協せずにタイマー付きのクーラーのある空き部 屋を見る事ができた。US$15バスタブ有りダブルとシングルのツイン。申し分 ない。でも、一応押さえて他の宿も見ようと思った。 外を見ると、ぞっとした。ワゴン車は執念深く私の動向を伺っていたのだ。 「カモは逃がさないわ、紹介料は私達のものよ。」 なんてドス黒い思念の様なものがワゴン車から立ち上っている様な目眩を感じた。 恐い悪い女に出会ったもんだ。何をするにも気が抜けない。(今、外へ出て行き、 宿探しを始めたら、どういう事になるだろう。) このいたずらっぽい考えは、後ろから肩を叩く手によって遮られた。AK君 が立っていた。昨日、「出会うだろう」と言ってた冗談が、いきなり現実になっ た事に驚くと共に、単純に出会えた偶然がうれしかった。AK君の方の夜行列車 は予定よりも3時間も早く着き、ここに宿を決めて、すでに旧王宮跡を観光し て来たらしい。ここで改めて名前を聞かれた。 TAKT「TACT!ホンダtactのタクト。スナック菓子も最近出た。」 と訳のわからない人にはさっぱりわからないの自己紹介をした。 TAKT「なんで、鉄道駅から遠いここに決めたの?決め手は何?」 AK君「空気、かな。」 その少しキザない方に自分は苦笑し、階段を上っていく一人の日に焼けた日本人 もクスっと笑った。(そういう答えを期待していたわけじゃなかったんだけど、、、。 それにしても日本人が多い。祝日絡みで皆考えることは同じってわけか。)もう 昼の1時を回っている。旧王宮を観光するのに2時間と読み、部屋をここに決 めて、急いだ。 チェックインの時、気がつくとワゴンは消えていた。 [フエのシクロ] 14:00 市内観光をスタート。歩き出すが、蒸し暑さと強い日差しにクラクラ する。シクロが寄って来た。地図で見る限り、目指す王宮まで2kmはなかった。 いつもなら歩く所だが、今の体調を考えると昼間のこの暑さで体力を消耗するの は避けた方が懸命だと考えた。1万ドンくらいの甘目で交渉成立(因みに最初の 言い値は18千ドンだった。)。道すがら、おじいさんに見えたシクロの運ちゃん が実は、同じ年(29)だと分かり、驚く。しきりに5km以上離れた寺院に連れ て行きたがる。又は、旧王宮跡の周りを1時間巡ってあげるとか後のセールス がうるさい。 「考えとくよ」とは言ったが、全然乗り気ではない。自分にとっては、航空券の 手配の方が先決だ。 シクロは、進入禁止の道路があるのか、少し、回り道をして旧王宮跡の入口 にたどり着いた。1kmと少し。これじゃあ、皆乗らないだろうなぁ。この段階 で、なんとなくエジプトのルクソールに似て観光ズレ(ツーリスティック)した イヤな雰囲気を感じ取っていた。 [旧王宮跡] 入場料はUS$4(ドン払いだと55千ドンだから$で払った方が得)。結構高い。 それなのに、見るべき物が余りなかった。少しりっぱな建造物3個は中国の宋時 代のに酷似している。宝物の点数も少ない。写真を撮るなと言う割には大した物 はなかった。入場門の上に登って、掘と市内眺めた。高さ20mもない。少し展 望はいい。が、それだけのこと。ただっ広い敷地に朽ちかけた門(写真)があり、 入ったらダメと言われる大学の校舎が2棟。吹奏楽器と太鼓の音が少し鳴っていた。
これで$4ぅーーー。詐欺だ。 ガイドブックには、水と古都、誰かが世界一の綺麗な町並みだという謳い文 句で絶賛していた。額面通りに受け取って期待を膨らましすぎたこちらも悪いが、 この期待と現実のギャップに酷く落ち込んでしまった。 先のシクロに付き纏われたくなかったので入場門(南)と違う東門から出た。 [落胆] すぐ近くの美術館。螺鈿細工の家具が良い状態で残っていたが、それだけ。 その隣りの博物館。目に新鮮だったのはボウガンくらい。 その前のフリースペースにベトナム戦争時代のアメリカの戦車10台が置いてあ った。むしろその吹きさらしの戦車の方が自分にとっては見ごたえがあった。
ホテルのある新市街に戻る道中、ベトナムに入ってから見学有料のものが全 部外れだった事を思い返し、この落胆の原因を考えていた。川縁のテラス形式の カフェにいるグループから、自分の事を日本人とわかってかお誘いもあったが、 手を挙げて挨拶するだけで、テーブルには着かなかった。明日の観光、どうしよ う、、、。(ホーチミン市に)飛んじゃおうかな、ホイアンも期待外れだったらダメ ージでかいし、、、。 [犯罪的アオザイ と にわか変態的カメラ小僧] 新市街に戻る途中に長さ500m弱の橋が架かっていた。途中、白いアオザイ姿 の若い女性がチャリンコに乗って、いっぱい通り過ぎて行くのが目に入った。な んだぁ、アオザイ、着てるやん。ハノイではまったく見かけなかったのに。よく 見ると、スケスケ(ブラの形がクッキリ)で両脇の下にスリットが入っている。噂 に違わないお姿にニマニマにやけてしまう。うーん、なんで透けてるんだ。嬉し いけど、犯罪的ですらある。でも、白色で刺繍etc.飾り気のない所がさわやかで 清楚だ。見た目の年齢が揃っている事から、やがて、それは、女子高生だと分か ってきた。 橋の端まで渡り切ると、一眼レフのカメラを構えたおじさん達が3人。雑誌に でも載せるんだろうか。郷に入れば、、、じゃないけど、自分もバカチョンのカメ ラで5,6枚も撮ってしまった。地元で同じ事やってたら変態やな、と自分自身 の姿に赤面しながらも撮っていた。 [DMZツアーの予約] 町に戻ってすぐ、現地旅行会社が両脇に点在していた。主な1日ツアーは、 寺院、廟(5,6個)めぐり、又は、DMZ(非武装地帯)ツアーだった。加えて、 ホーチミン行きの飛行機の手配もしなくちゃいけない。橋を背に右手1番最初の 旅行会社に入って話を聞く。 残り時間を計算し、ハノイのツアーで逆ルートで旅してきたスペイン人の話 を総合した結果、残り5日のスケジュールは 水:フエ郊外ツアー ( or ホーチミン市への移動、その分ホーチミン市1日観光) 木:ホーチミン市への移動 金:メコンンデルタ(ミトー)ツアー 土:クチトンネルツアー 日:日本への移動 とギチギチなのが分かった。バスで7時間もかかるダナン経由のホイアン(旧 日本人街があった場所)は、飛行機に乗るのに最低でもダナンまで3時間バック することを考えるとゆっくり見る時間的余裕はなかった。これを書いている今な ら、バイクタクシーを1日雇って、もしくは、バイクを借りて効率よく回る手 も考えれたが、この時点では、不安要素がいっぱいあり、案も浮かばなかった。 シンカフェのOPENツアーバスもホーチミン市へ26時間もかけて行く。ダナ ン、ホイアン、ニャチャン(綺麗なビーチ)も好きなだけ途中下車できるが、1 日1便、最少催行人数付きなのがリスキーで、最低でも2週間ないと、きつそ うだ。だから、ボツ。 総合的に考えて、選択肢は絞られていった。明日DMZツアー。明後日、飛 行機で移動。 DMZツアーはUS$25、ホーチミン市までのチケットはUS$80。チケットは 2.5時間のフライトで妥当だとしても、1日ツアーの$25は高すぎる。ホーチミ ンの2つのツアーはUS$7と4と聞いている。ハノイでもUS$15だった。いく らなんでも高すぎる。「高くても$16,7だと思った」と正直に感想を言って席を 立った。旅行会社の若い兄ちゃんは、$25の理由を「軍の許可を取っているから だ。」とか「他の店のツアーは回る場所が少ないし、軍に止められてツアーが中 断することもある」とか胡散ん臭い事を早口で話す。「US$3まけて22でいい。」 とも言った。どうも引き止め方が、怪しい。自分の五感もそう告げている。 次の店との中間に差し掛かった時、ハノイから、AK君にくっついて来てい た女子大生2人組みにバッタリ出会った。聞くと彼女達もAK君も先の店でツア ーの予約をしたらしい。他も回ってここが回る場所が一番多いというのは本当の 様で、一番良いと力説する。 「私達の言う事が信用できないの?だったらいいわ、好きにしなよ。」 一気に説明し、しゃべり切った後、最後は怒って店を出ていった。(なぜ、怒る のかは後で、彼女達の普段からおこりっぽい、我が侭な性格からくるものだと分 かった。) 彼女達はインド・ネパールも回っている。その眼力と経験を信用して賭けてみる 事にした。因みに彼女達は、$25払ったそうだが、自分は、都合よく彼女が去っ てくれた為、$22+80で決着した。 自分の泊まっているタンロンHの下にもUS$16でDMZツアーを勧誘してき たが、念の為、説明の紙をチェックすると、2箇所、訪れる場所が少なかった。 ツアーの時間も1.5時間ほど少なく、今夜の所は、選択した考えに満足していた。 フロントにいた高校生くらいの女の子にせがまれて、日本語の挨拶を一通り教え から、夕食を食べに行った。 [夕食] 野菜と卵が入ったチャーハンとHot Lemonとフルーツ盛り合わせ。総額200 円もかからないし、量も多い。さすがに1人では食べきれず、たまたま隣に座 った日本女性3人組に 「残りもので、悪いけど。食いきれなかったんで、もらってくれない?」 と いいつつ席を立った。普段、日本では、やらない様なキザな行動に自分自身 が照れてしまって、そそくさと立ったので、彼女達の嬉しそうな「ありがとう」 の声は背中で受けてしまった。そのまま宿に戻って、就寝。 明日は6:30起床だ。 続く−−−−−− ベトナム縦断9日間旅日記 ― 第5日へ −−−−−−
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