Circle Pacific −3−(イースター島1)
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第五日目:1996年12月23日(月)
[イースター島へ]
LA134便 PPT 0235 -->IPC 1315(飛行時間6hr)
時差−5hr.
パペーテの空港にてリコンファームし忘れた事に気付いた。焦ったが超ローカル路
線の為助かる。この先また忘れるのが恐いので、どうせFIXだし、
"Please reconfirm all my journey."
"O.K."
ランチリ航空のチェックインカウンターの兄ちゃんは気さくに答えてくれた。
空港のロビーでは、宿が同じだった豪人家族と話たり、DFSで買い物したりして、
眠気を追い払っていた。床にゴロっと寝転ぶ女性もいたが、こんな芸当ができるのは、
豪人と思うと同時にそこまでできるのをうらやましく思った。
ようやく飛行機に乗り込み、初ダイブで疲れきった体をシートに沈めるとtake off
の記憶がないほど即、眠りに落ちた。寝過ごして遅れた夜食を取った。VINO(ワイン)
がうまい。さすがランチリ航空(チリの国営)食中にcoffee・teaの前に赤白のワイン
を両手に注ぎにくる。勝手に期待していたラテン系の情熱的なサービスはなかったも
のの快適である。機体B767も良い。いつもより多いアルコールがまた眠気を誘う。朝
食にまた寝過ごして、着陸1時間前に慌ててブランチを取った。着陸直前、2つの小
島(昔、海つばめの卵を島のTOP(鳥神)を決めるのに取りに行ったと言い伝えられて
いる)を右手に見た。滑走路は1本。Uターンして管制塔横まで戻ってきた。
13:30着。
[イースター島の空港にて]
今まで見た国際空港の中で一番ボロイ(木と竹でできたバラック小屋)。歩いてイ
ミグレへ行った。直前に渡されたフォームは全てスペイン語で書かれていたため理解
不能だった。食べる時以外ほとんど寝ていたこともあって、白紙まま
"Sorry. I slept."
と言いつつパスポートにはさんで係員に渡した。係員のおっちゃんは、面倒そうな
顔をチョットしてみせたが、英語の質問に3,4問してきて、答えると全部記入してく
れた。すぐ前でイミグレを終えた旅慣れた白髪交じりの日本人がそのやり取りを見て
いたのか話かけてきた。
「焼けてるねェ。」「個人旅行?」「なんでここに来たの?」
長島監督みたいなベースボール顔。笑顔で矢の様な質問が飛んでくる。(のけぞる)
TAKT「4年越しの思い入れがあって...」
「ほ〜う。俺なんか10年越しだよ。」「良いホテルガイドブックに乗ってるんだけど
一緒にシェアしない?3ベットで海が見えるみたい何だ。」
(年の割りにノリが良すぎる。定年?より若い。話の展開も早すぎる。現地ガイド?{警
戒警報20%})
TAKT「自分はレンタカーをシェアしたいし、客がちょっと多めで町の中心に近いほう
が良いんだけど。」
「いいよ。レンタカーはシェアしてもいい。」
(あっさり話を合わして来る。{警戒警報40%})
インフォメーションとホテルのブースが並んでいるのを見えたので、荷物が出てくる
のを待っている間に情報収集しながら考えようという事になった。インフォメーショ
ンのホテルリストでは、$15〜90/泊と幅があり、ホテル数が30軒と予想外に多い。
ホテルブースには3人のコワモテのおばさんが押しの強い客引き合戦をしている。長
島顔おじさん(以下Yさん)指名の3ベットの宿は$45。(うっ、高い。)Yさんとはこ
の時点で始めて名を名乗り合った。
Yさん「私は彫刻家で世界の石の遺跡を20年以上周っていてここが最後の土地だ。」
と言い切る。
TAKT「底値が$15のここで$20以上は出したくない」
と言うとYさんがチョッピリ未練残し同意。{警戒警報30%}
空港出た所にさらに10人以上の客引きがいるが、目当ての$20の客引きは来ていない
ようだ。決め手がなく2人うろうろしていると、ホテルブースに居たナナが、さっき
と違う気さくな表情で
“TWIN2人朝食付きで特別$20eachでどーお。町の中心にあるから部屋が気に入らなか
ったら。別のホテルにも歩いていけるわよ。“
悪いofferではない。2人顔を見合わし1秒後.同意。
Yさん「3ベットの人は表情がきついまま変わらなかったけど。彼女(ナナ)は表情が
ガラッと変わったね。ブースのキツイ表情は真剣に仕事・競争しているから
なんだろう。仕事の終わった今の表情と比べてごらん。」
(さすがartist、視点が鋭い。でも、まだ、3ベットの所に未練があったんだな(^o^)。)
自分に言い聞かせる様に言ったYさんの言い方がおかしい。{警戒警報10%}通りの説
明を受けながら車で5分。学校の近くのダートをちょっと登った小高い丘の上に平屋
の白い家があった。
[hotel Chez Joseph と Yさん]
部屋はこざっぱりして清潔。部屋の向かいに専用のシャワー・トイレ室あり。テラ
スから海が見える。良い。2人共シャワーを浴びる。Yさんは、イースター島滞在7
日間、自分は5日間の予定だ。時間はたっぷりある。お互いにあせって観光する必要
はない。と、ベットに寝転ぶ私の目に変なものが目に飛び込んできた。シャワー前に
パンツ一丁のYさんが薄いピンクの腰巻きをしている。よくあるズボン内腰巻きタイ
プの貴重品袋なのだが、袋以外のベルト部分がブラジャーだったのだ。しかもレース
付き。笑い転げる自分に向かって、Yさんは大真面目に
「色々試した結果。笑うけど吸水性・着け心地とも最高。自分で縫って10年以上
愛用している。皆に薦めてるんだけど誰も真似しないんだよね。」
と語った。決して悪い人ではない。この時点で私のYさんに対する警戒警報は0%にな
った。
[香港人姉妹]
居間は16畳位で、風も日当たりもよく、居心地が良かった。ここで、ナナの仕事の
パートナー(エドガ)から情報をもらった。話終えたエドガは自分のレストラン(店無
し)を紹介した。その間、黒髪の女の子2人が居間を何度も出入りしていた。どうやら
部屋を代えている様だった。エドガが去って、その女の子2人が居間のソファーに座
った。「こんちわ」(しまった中国系だ。)と一言発して顔を見ると同時に気付いた。
すぐ"H,H,Hello"と慌てる自分を横にYさんが巧みな英会話で彼女達の氏素性を明ら
かにしていく。(ナイスフォロー)
名前は、Vicky&Eva。姉妹で香港人。妹は、SANDEN(三電)で経理をやっている。サン
チアゴから入って明後日サンチアゴにもどる。旅行日程は全16日。その他、旅行遍歴
etc.。約30分の取り調べが中断した時、彼女たちが、ここで夕方発のツアーを待って
いる事を言い始めた。すると、たまたま話しが聞こえたのか、ナナが部屋に来て
「そのツアーは、時間にルーズな会社なの。1時間待っても来ないんじゃ。忘れてる
わね。なんで私に相談してくれなかったの?」
結局、当てにならないツアーをあきらめ、明日、4人でレンタカーをシェアする話
が始まった。ナナが仲介をかてでる。ナナは最初$60/8hr.と言いつつ----TEL-->
新車種「SUZUKI VITRA」だから$65(Yさんが断固拒否;儲けを読む)----TEL-->
旧車種「SUZUKI SAMURAI」で$50に決まった。(後で知り合った日本人旅行者は
$190/3日だったから、多分BEST PRICEではないかと思う。)
早速、4人でスーパーに買い物へ。明日の昼食の買い出しにでかける。昨日からここ
にいる彼女達の案内でスコスコ買い物が済んでいく。「SIN GAS(ガスなし)の水を売っ
ているのは1軒のみ。」とか買い物に対する女の子のチェックは実に的確である。で
も、スーパー内の水は全て製造日が1年以上前のものだった。
第六日目:1996年12月24日(火)
9時、約束の時間より早く「SUZUKI SAMURAI」(日本名:ジムニー)が到着。タイヤ
は減っているが、窓ガラスはちゃんと付いている。スペアタイアも装備。でもMT(マ
ニュアルトランンスミッション)だった。チェックと契約をすませ、
9:30 出発。最初はYさんが運転した。彫刻で鍛えた腕にとっても重いステアリン
グがキツそうだった。観光局で重要ポイントを教えてもらい、郵便局で切手を買った。
郵便局の遅い仕事で予想外に時間をくってしまった。
10:00 空港横の舗装された道を30Km/h位の速度でゆっくり進む。Yさんは普段、軽
トラックを運転しているが、初めての右車線に慎重だった。時々道に出てきている馬
や牛を避けながら40分位走ると島の端っこ「ANAKENA」まで来てしまった。途中4点
も見所があったはずなのだが、分岐点を見逃していたようだ。少し戻るとダートの道
があった。ともあれ、この島が縦断20Kmと小さいことはわかった。時間に余裕をもっ
て観光できそうだと話しながら、そのダート道を逆走しはじめた。
以下、見所を実際に見た順番に挙げていく。
[TONGARIKI]
ダートの道を海を左に見ながら戻ると海を背にモアイが15体立っている。
自分にとって4年越しの感激の対面だ。その16体以外にはそこから少し離れた 所にハンサムな小さな1体が立っていた。ここで、Yさんは、髭と薄い服が纏われて いた痕跡を見つける。(やっぱりYさんはプロやなぁ。)
| トンガリキ前にて 小さくてハンサムなモアイ |
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| そのモアイの 衣と顎髭のあと |
[RANO RARAKU]
すべてのモアイの制作場と言われる岩山。すそ野は草で覆われていて、斜面にあち
こち向いたモアイが30体以上いる。少し離れて、正座したモアイも海側に1体いる。
岩山の崖には制作途中のものがいくつもあり、写真1枚に7体入る場所もあった。山
頂はクレータで湿地湖に馬が放牧されていた。クレータ内にも10数体。興奮してシャ
ッターを切りまくった。ここがこの島のハイライトだった。
| 正座しているモアイ ラノ・ララク火山の麓に正座しているツクリティ像。 ポリネシア的な様式(少し太め)で作られている。 |
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| ラノ・ララク | ![]() |
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[南東の海岸3ヶ所]
HANGA TETENGA,AKAHANGA,VAIHUはいずれもアフ(土台)とうつむけに倒されたモアイが
5〜8体、赤い帽子(髪?)も無残に転がっている。RANO RARAKUに比べると興味は半減。
AKAHANGAでは、罰当たりにもモアイの背中に座って、テーブル代わりにして遅い昼食
を取った(14:00)。日差しが強いが海からの風が激しく、心地良い。
いずれも、周りにゴミは落ちていないのがうれしい。
[運転]
ようやく見過ごしてしまった分岐点にたどりついた。舗装道路に戻った所で、運転を
Yさんから交代した。昨日、
”運転暦7年だが、普段AT(オートマ)しか乗っていない。”
なんて余計な事を言ってしまったもんだから、自分がハンドルをにぎったとたん。皆、
緊張。無言の張り詰めた空気が背中と横がらヒシヒシと感じられる。自重して、先の
見える直線でも75km/h以下に抑え、馬も牛も20kmですり抜けた。重ステは、走り出
すとそんなに心配した程ではなかった。途中、5分の通り雨が2回あった。遊びの大
きいハンドルも右手で変えるギアも徐々に慣れ、初めての左ハンドル・右車線・海外・
ダートの運転は、楽しかった。
[ANAKENA]
探していた褌(フンドシ)付きモアイはここに7体立っていた。その褌は、ケツはT
バック、前は野球のキャッチャーが付けてるファ−ルカップの様なキ●隠しになって
いた。そのさらに海側にはコンチキ号部隊が古代の建て方で立ち上げた太ったモアイ
が1体立っていた。すぐ側に幅50mのビーチがあり、バルサ材で作ったリッパな船が
あった。
(この船は、スペイン政府の出資・日本人1人がテントで参加:居候学生談)
| アナケナ前面 | アナケナ背面 |
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[ORONGO] 空港近くを通り、海に突き当たった所で町と反対方向の丘に登って行く。ダートの クネクネとした坂道を登り切ると大きな湿地湖を抱えたクレータと(※)小島が眼下 に望める。岩に描いた鳥神の絵と海つばめの卵の見張り小屋もある。島にいる間中有 効な入場チケット($10)の売り場は、クリスマスイブだった為か無人だった。(もうけ) (※)毎年、ORONGOから500m位離れた小島に海燕が産み付けた卵をその年一番に 取ってきた部族が一年間政治を担い、その部族の酋長は鳥神と呼ばれ崇め奉 られたと言い伝えられている。 海は荒れていて、岸壁は岩でゴツゴツしていた。
| 鳥神 | |
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[クリスマスのディナー]
町(HANGA ROA)への帰り、展望の良い場所で4人揃って写真を撮った。ガス代は燃料
7.7lに対して$4で、今日の車代は$13.5/1人となった。車を返し、シャワーを浴びて
ひといきついてから、海に突き出たレストラン「PLAYA PEA」へ4人で食事を取りに行
った。チキンもターキーもなかったが、タヒチで食べたいな〜と思っていて食べなか
ったマグロのさしみがあり、うまかった。しかし、LOMOのCHAMPINIONなんとか(牛背
肉のマッシュルーム添え)はあまりうまくなかった。食事と会話を楽しんでいるうちに
21時半になり、日が水平線に落ち、急に寒くなってきたので、中に入ってteaを飲ん
だ。住所交換の時、Vicky&Evaが自宅住所の名刺をスっと渡してきて、かっこいいと
思った。帰国したら「自分も香港人みたくTAKT名の名刺を持とう!」なんて思った。
いずれにしても日本だと確実に1人だっただろうイブの夜が、おもわぬ所で楽しくな
った。巡り合せをもたらしてくれた運とこの地に感謝!