ベトナム縦断*旅日記 第5日

  
  −−−−−− ベトナム縦断9日間旅日記 ― 第5日 −−−−−−

[疑心暗鬼]
朝6:30、ホテルの表に出てみると、人待ち顔の日本人が2人いた。1人は南
こうせつ似の人の良さそうな通産省人、30才男(以下、南公と略)。もう1人は
退職して8ヶ月間韓国〜西欧までの旅行中の23才男(以下、八青と略)。八青は、
昨日、AK君とのやり取りを聞いてクスっと笑った日本人だった

色々話していると、頼んだ旅行会社と払った値段が違う事が分かった。
US$25,22,16。違うツアーなんだろうと思っていたが、20人乗りのツアーワゴ
ンが来て、証明代わりの領収書を集められ、代わりに水の500mlボトルを手渡
された。寝坊して、遅れてきたAK君となぜか同室の女子大生2人組の3人も、
結局、同じワゴンに乗り込んだ。さて、ツアー客18人中、高いシェア率を誇る
日本人6人がこのツアーに払った料金は、

一番橋に近い旅行会社で、$25が4人、$22・20が各1人
タンロンHの旅行会社で、$16が1人。

自分も含め$22以上で買わされた負け組は皆、激怒した。だって、同じサービス
で価格差は最大US$9。ボラれ率50%近くの高率である。現地の物価を考えると
洒落にならない大きな額だ。また、額の大小に関わらず、ボラれたという精神的
ダメージもでかい。
「くっそー、帰ったら厳重にクレームつけてリファーン(払戻)させてやるわー。」
この時の掛け声だけは皆意気盛んだった。

[ツアー内容]
パンフには、Highway1とHighway9の各コースに付き5個所ずつ、見所が
記載されていた。
ツアー内容をおおざっぱにまとめると、
    銃弾まみれの教会。
    ハンバーガーヒル
    丘の上の小さな博物館。
    落ちた橋、再建した橋。
    少数民族。
    トンネル(全長3Kmの防空壕、深さは12〜25m、穴の高さは平均170cm)
だった。下記に順を追って簡単に説明と感想を列記する。

[わかりにくい説明]
途中で拾った英語のできるガイドの英語は訛りがキツくないものの抑揚が無
く早口だった。マクドナルドの様に決まりきったフレーズをテープの様に毎日繰
り返していることが容易に想像できる。それに、枯葉剤とかの英単語も事前に仕
込んでなかったので、キーワードがうまく取れなかった。

  また、「地球の迷い方、ベトナム編」の説明は、完全に手抜きだった。DMZ
については、いや、ベトナム全域にわたって、昭文社の「自由旅行」の方が勝っ
ていた。(記事の見易さ、説明の分り易さ、地図の見せ方 等の使い勝手)

[銃弾まみれの教会]
  屋根が吹き飛び、銃弾の数も半端ではない。でも、取ってつけたような木の十
字架は似合わないのでわざわざ取り付けないで欲しかった。

[ハンバーガーヒル]
  はげ山。正式名称は9**高地だそう。激戦区を物語る丘。でも周りは緑が多く、
枯葉剤の影響は一見ない様に見える。ここの通称は、戦友が毎日戦闘で余りにも
あっけなくミンチになっていく様子から付いた。

[丘の上の小さな博物館]
  規模も展示内容も市内の博物館と大差はない。拾い集めてきた銃弾やネームプ
レートなどをしつこく売りつけに来る。後からいくらでも作れそうな物にも見え
た。それに、もしも本物だとしても、何か霊魂が乗り移っている様な気がして、
とても買う気にはならなかった。

[落ちた橋、再建した橋]
何本かあったが、熱で飴の様にひん曲がっているって状態は皆無で、説明が
ないとただの出来の悪い橋にしか見えない。まぁ、何年に落ちて、何年に再建さ
れた、、、くらいしか理解できないこっちのヒアリングも悪いのだが、、、。
  唯一、粘土色した川を見て、戦時を想像し、これを渡るのは大変だと思った。

[少数民族]
   小学生くらいの女の子のストレートヘアーが綺麗。モンキーバナナ丸出しで
飛び跳ねている幼児がかわいい。黒ブタ、ニワトリ、高床式住居。良い感じだっ
た。
だが、そのうち、女の子がカメラ意識して控えめながらも写しやすいように
行動している事がわかり、赤ん坊を抱いているお婆さんが露骨にTipを要求し
だした。急に興ざめした。
  毎日、ツアー客に我が身をさらし、ただそれだけで生計を立てている様に推測
した。この先もそんな日常を送るのか、、、見世物になる人生なんて、、、そんな事
を思い巡らしていると、無性に悲しくなって、カメラをしまいこんだ。

何も知らないで無邪気に飛び跳ねている幼児の笑顔をもう一度見た。大きく
なったら、どうなるのだろう。気が付くと大人の男は、周りにはいなかった。
  
  やるせない気持ちのままワゴン車に乗り込んだ。

[スタック]
道のほとんどは粘土質の泥と水溜まりで構成されていた。町に近い舗装道路
も所所に大穴が開いていて、もしも自分一人で夜にバイクを飛ばしていたら、恐
らく大事故になっているだろうと思う。なぜなら、申し訳程度に木の枝などで標
示っぽい事をしてあっただけだったからだ。

  ここが戦場だったことを思う。暑さ、ぬかるみetc.。軟弱になった先進国の人
間にとって、ここにただじっとしているだけでも大変だったろうと思った。石を
詰んだトラックが一台スタックして止まっていた。草を敷き、バックして助走を
つけて、ようやく抜けたが、その渋滞の為に20分ほど、予想外の時間をくって
しまった。

[防空壕(トンネル)]
全長3Kmの防空壕、深さは12〜25m、穴の高さは平均170cm。だから、背
の低い自分はほとんどまっすぐ立って歩けた。横に1.5畳くらいの家族の部屋が
多数。3畳の病院では、70人の赤ちゃんを取り出したそうだ。ボーンホール(墓?)
は死臭がまったくしなかった。トイレらしきものの説明もなかった。

トルコのカッパドキアにある地下都市と比較して、規模は1/10。死臭も糞尿
の臭いもなかった。自分にとっては、臨場感も新鮮味もなく、あまり面白くなか
った。唯一、高さが高い事だけに、興味を引かれたが、それも壁と天井にびっし
り書かれた心無い落書きによって幻滅した。
[ビーチ]
  トンネルを抜けると懐中電灯を回収され、普通の人が普通に漁をしている小さ
なビーチに出た。モーターだけは付いているが、その他は原始的な船や網で彼ら
は漁に出る所だった。何故か手伝いたくなって、僕らは写真をとりつつも、3艘
を海へ押し出した。
「男やなぁ。  これぞ男、って感じやなぁ。」
漁船はあっという間に点になり、見えなくなった。
モーターのない漁船の船出
[通用しない脅し]
スコールの中を2時間走ってツアーは終わった。ホーチミンまでの航空券を
取りにと今日のボッタクリツアー料金の文句を言うべく、昨日の旅行会社に向か
った。昨日の調子の良いあんちゃんと違って一見誠実そうな男が座っていた。ま
ず、もらうもの(航空券)をもらって確認してから、クレームを始めた。
TAKT「同じサービスで、違う料金は納得できない。説明も嘘が入っていた。
       もし、差額を払い戻ししなければ、TVやガイドブックに投稿してやる。」
と言った。意外にも南公も一緒に来ていたので、半分マジでリファーンを要求し
てみたが、自分にとっては、どう反応するかを見て楽しむつもりだった。
彼は、充分焦っていたし、冷や汗をダラダラかきながら、社長らしき人と3回も
電話で話をしていた。が、結局、一旦手にした金の方が大事な様だった。同じパ
ターンでエジプト人やトルコ人なら後の評判の方に重きを置く為、「ガイドブッ
クにクレーム」ってフレーズには水戸黄門の印篭並みの効き目があったのだが、
ここベトナムではそうはいかないみたいだ。ボッタクリの悪質さは同じものの、
ベトナム人は頭が良く、そして、今、現在手にする金を一番重要視している様に
感じた。

{photo:ボッタクリ旅行会社、こんな店を儲けさせてはいけない}

[粥と酒と気の置けない人々]
  夕食は、あっさりと粥にした。ジモピーしかいない薄暗い屋台だ。早く寝
て、疲れを取ろうと思っていた。隣に座っていたジモピーの男が、小さいコップ
を差し出し、透明の液体を並々注いで、渡してくれた。まるっきり、日本酒だっ
た。ここでも米から酒を造るのか。粥を食べ終わる直前にきゅーっと開けるとま
た注ごうとされたが、丁重に断った。味は日本の美少年等ともひけをとらない。
と思う。アルコール度も強かった。

  気分よく、立ち上がろうと、粥5000代ドンに対してUS$1札を出すと釣りが
5000ドンしか返ってこなかった。
TAKT「レートが違うだろう、郵便局でUS$1=13900ドンだったよ。
        だから、8000ドンはくれよ。」
人の良いおばあさんの顔が、意地汚いババアに見えた。へ理屈言って埒があ
かないので、仕方なく10000ドン紙幣に差し替えた。暗がりのなか、1000ドン
札2枚と2000ドン札が返って来た。確認して、1000ドン足りないとアピール
すると、いやらしい笑いが周りの客5,6人とババアとに起こった。
ばれちまったかぁ、しょうがないって明るい笑いではなく。悪意と残念が入
り交じった笑いだった。フエの人々の外国人旅行者に対する腹の底を一瞬垣間見
た気がした。

  (一瞬たりとも気が抜けないのか、この国では、、、。
  それとも、ここフエがツーリスティクなのか、、、。)


多分、フエには二度と来ないだろう。
タダ酒で上げて、支払で落とされて、暗い気持ちで布団に潜り込んだ。


続く−−−−−− ベトナム縦断9日間旅日記 ― 第6日へ −−−−−−


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