Circle Pacific −2−(タヒチ編)

 第三日目:1996年12月21日(土)
 
 [真夜中のタヒチ到着]
 真夜中の2時にもかかわらず、観光局の歓迎がうれしい。まず、飛行機のタラップ
を降り、滑走路をぞろぞろ歩いて行くと、香りの強い白い花を一人一つづつ、手渡さ
れ空港ロビーに入る。渡す人が女性でないことがちょっと残念だったけど、女性客は
喜んでいた。ハンサムで若い男性に花を渡されるのだから。ロビー内では、観光局の
4人が4弦楽器でハワイアン調の曲をひいて出迎えてくれた。入国手続きは係官が3
人しかおらず、時間がかかった。この間に初めての土地に着いた時の漠然とした興奮
は冷め、南国に着たんだと実感した。日本は冬で寒かった。ロスも朝晩と昼のバスの
中は肌寒かった。でも、ここは蒸し暑い。むあっとした風が花の香りと共にやって来
ていた。
 やっと、入国が済み、今度は両替だ。目の前に1つ、宝くじ売場の様な小さい小屋
が銀行だった。深夜3時で、自分が乗ってきた飛行機の客の為だけに開店しているよ
うだ。で、両替率は1991年版ガイドブックのコピーの情報よりも良い。(1万円=7900PF
でno commission)でも、物価は?不安だ。でも、今は調べようがない。がんばれば、
空港で夜をすごせそうだったが、HOTEL探しを始めた。ロビーに置いてあったパンフ
は4000PF以上とバカ高い。HOTELの客引きはTEAMO HOSTELのヒナノおばさんしかい
なかった。観光局のブースに一人いた兄ちゃんも、
 「タクシーは高い(約2000PF)し、Pick upしてくれるTEAMOがbetter」
 と言う。
 選択の余地はなさそうだ。宿泊料は情報の1.5〜2倍。両替率との相関関係から察する
にインフレぎみなんだろう。Singleは4000PF(他人の迷惑にならない)か6人ドミ
1500PF(節約)か深夜ということもあり迷ったが、結局、ヒナノおばさんが言った「同
室の人は、一人やけど、気にせーへんよ。」の一言に流され、節約コースにした。
  ピックアップのワゴンには、オーストラリアからの35歳の男性とその親夫婦の3人
家族が後で乗り込んできた。ほどなくヒナノの運転で町へ走り出した。道は舗装され
ていて、スピード100Km/hで楽に流せる。スピードに乗ってすぐ、周りに民家の灯り
のないさびしいところで70歳位のじいさんがヒッチしていた。ヒナノはスピードを緩
める事なく走り続ける。夜中の3時にヒッチなんて事は珍しい事ではないらしい、こ
こでは。車で15分後のa.m.3:30 にHOSTEL着。部屋のドアをゆっくりと開けると、
ギギギーっと余計大きな音が鳴り、1人だけ居る女性を起こしてしまった。あやまる
とシンディローパーの様な声で"No problem, Uu〜nn"と眠たそうな返事が返ってきた。
疲れてはいなかったが、すごく眠たかったので、欲情する間もなく、深い眠りに落ち
た。
 [パペーテという名の小さい町]
  10:00 起床。部屋がゴソゴソうるさいので、眠りからさめた。暗闇で声しか聞けな
かった女性の姿はなく、背の高い髭の外人とミルコ・ビンセントと名乗る変な日本人
学生2人組が居た。学生コンビと話すと、近くにある「将軍HOTEL」がひどくて昨日
から予約して、朝ここに移動してきたそうだ。NZから入って2週間タヒチ4島周って
シュノーケリング専門で遊んできたという2人は、体中真っ黒だった。4島中でボラ
ボラを絶賛され、行きたくなった。が、今日を含め2日しかない自分にとっては時間
が無さすぎで、あきらめた。
 ロスからの時差は+2(日本からの時差は−15)。日付変更線は越えなかった。経
度が戻るのでまだ少し残っていた時差ボケは、解消していた。午前中は洗濯。短パン
とTシャツとサンダルという、自分にとっていつものスタイルで海にむかって歩き出
した。5分で海に出たが船用にコンクリで固めた入り江で、泳いでる人はいない。頼
みの観光局はすぐ見つかったが土曜で半休。洗濯に使った午前中の行動を悔やんだ。
腹が減ったので食事、と思ったが軒並み1000円以上するレストランのメニューにうん
ざりしてマーケットに飛び込んだ。マーケットでは100PFの短いバナナを5000PF札で
買おうとしたら釣りがないらしく”フリッ”といってタダにしてくれた。幸先いい滑
り出しだ。歩きながら食べたバナナは、日本で普段毎朝食べているフィリピン産と違
い、長さは半分、後味に気持ちのいい酸味を残してくれる。おいしかったので歩きな
がら5本も食べてしまった。町中はムルロア環礁の原爆実験に関して起こった暴動の
傷跡は全く見られなかった。
 タヒチでの目的はビーチでのシュノーケリングと初めての体験ダイビングである。
観光局に頼れなくなったので、海岸を左に見て歩き、道沿いのスポーツ店やホテルの
フロントで聞き込みを始めた。普段は仏語を話す住民も観光地であるだけに6割方英
語は通じる。途中、ルノーの展示場を開放して地元の子供達が2つのバンドと共にタ
ヒチアンダンスをしていた。30分ほど見れたがゆったり器用にクネクネ動く腰と指先
には子供と思えない色気があった。(自分は決してロリコンじゃない。と思う。自覚し
てないだけかも...。)観客は子供たちの親の様で、ハンディービデオ片手に一生懸命
撮影している親父がおかしかった。学芸会のノリだが良いSHOWだった。脱線したが、
また聞き込み再開、3,4人聞き込んだ結果。タヒチ島にも良いビーチがあり、ル・ト
ラック(相乗りシャトルバス)で行ける。さらに、ダイブツアーは“Nortisport”とい
うスポーツ店で小人数の客だけ扱っているらしいことがわかった。まず、体験ダイブ
の予約をしたい。“Nortisport”は町の北端にある軍事施設の裏手と地図で教えられ
た。でも、近くまで行って迷ったので、たまたま道を尋ねた姉ちゃんが車で乗っけて
くれた。店は昼休みで、13:30の開店まで15分暇な時間が出来た。裏に回るとのボー
ト用出口があり小魚が泳いでいた。海パンをはいていたので、Tシャツを脱ぎ、苔で
滑る出入口からグラスだけ付けて泳いだ。ちょっと冷たく、すぐ深くなっている。で
も4種類位の熱帯魚が崖の脇に見えた。ビーチサンダルに海パンにTシャツを着て髪
の毛が濡れている状態で店に入り、裏手にあるダイブの受付小屋を紹介してもらった。
その受付小屋にはドゥミという40才位の小柄なおじさんがいた。
 「今日は、FULL。でも、明日14時〜O.K.。」
 その上、料金は1DIVE器材レンタル込みで4000PFだった。(物価上昇から5000〜
8000PFは覚悟していた)。初体験ということを何度も念を押したが料金は変わらなか
った。ドゥミは普段フランス語を話し、英語はカタコトなのが心配だったのだが、人
柄が良さそうなので即決で予約した。ポコンと出た腹と、日焼けした子供の様な笑顔
と、ちょっと禿かかった頭が、妙な魅力を醸し出してるおじさんだった。
 明日の呼吸の練習をかねて、前の店でシュノーケルの口だけ640PFで買った。
 
 [ビーチへ]
   初体験ダイブがあっさり決まり、心が軽い。町を30分で南へ歩ききり、赤く荒い
 石のビーチをブラブラ歩く。なぜか、無性に歩きたい気分だった。が、目指すプンナ
アウアビーチは空港を越え倍の距離だ。車で30位と予想できたとうてい歩ききれる距
離ではない。途中で中学生にル・トラック(車長の長いDATSUN型で木の屋根を付けた
乗り合いバス。両脇と真中の3列に木のベンチが固定されている。20人位は乗れる。)
の待合い場所らしい所で会い。色々聞く。行き先が色々あって緑色のル・トラックが
正解とわかった。15分位の待ち時間は、はにかみ屋で素直な中学生とのカタコト英会
話のおかげで短く感じられた。車内に乗り込むと、屋根の高さは背の低い自分でも屈
まないと移動できないくらい低い。客は小錦みたいな男が2人と女子供7,8人。ギタ
ーを持っている男が"music?"と聞いてきたが、下手なことを言うと金を取られそうだ
ったので"No"とだけ答えた。気が弱いようでそれ以上何も言ってこなかった。プンナ
アウアが近くなり、キョロキョロしだすと、別の男が"HOTEL?"と聞いてきた。"ONLY 
BEACH" と言うと、「HOTELならここだが、BEACHならまだ先だ。着いたら俺がベルひ
もを引っ張ってやる。」と半分身振りで伝えてくれた。左手にモービルが見えたのを
目印にベルひもを鳴らしてくれた。運賃(140PF)の払い方は、一旦、下車して、運転手
に手渡しだった。
 
   [プンナアウア・ビーチにて]
 海の方を見たが、木が防砂林の様に茂っていて見えない。設備は、ワゴンレストラ
ン1軒、便所小屋1個、水シャワーにできる腰位の高さの蛇口が1つ。うん、一応そ
ろっている。上出来!!(^o^) 林をぬけると白砂のトップレスビーチだった。3時なの
に日が高い。


{photo:t702_1.プンナアウアビーチ}


早速、明日の予行演習とばかりシュノーケルを付け海に入ろうとすると 網を抱えた初
老の人が”どけッ”と無言のまま手で制する。何が始まるのかと思っていたら2人1組
の地引き網が始まった。バレーボールネットの両端に木の棒を付けた
だけの様な網で直径8m位の円を描き2人が交差する。約3分で網をたたみ終わり、1
回の漁が終わった。小さいのは逃がし、掌位の熱帯魚が2,3匹ひっかかっていた。原
始的な漁にただ感心&だが、物価の高いここで生活できるのか余計な心配をした。使
い捨てのカメラを向けると1匹のシッポをつかみポーズをとってくれた。"メルシ−"
赤黒く皺の深い笑顔が眩しい。自分は仏語として他に"ボンジュール"しか知らない。
彼ら2人は終始無言。でも、みんな笑顔。海はチョット冷たいが心がポカポカ軽い。


{photo:t702_2.タヒチの原始的な地引網漁}


 その後、度付きのグラスとシュノーケルを付け、珊瑚の周りにいる熱帯魚を見た。
熱帯魚屋で見たことのある黄、黒、グンジョウ、斑点、縞、細長い魚の他、海ウシ、
ウニが観察できた。さらにうれしいことに、このビーチはトップレスビーチだった。
どこのトップレスビーチでもそうだが、皆さん堂々と自然に出しているので、全然イ
ヤらしさがない、特にここはおばさんが一人もいなかったので今までで一番。鼻が痛
くなったら陸のお魚さんで目の保養。夢中の2時間半だった。
  太陽がいつまでも高いので油断していたら17:30。ワゴンレストランで"SASHIMI:
800PF"に引かれるものはあったが一番安い180PFのやつを頼んでみた。四角のチーズ&
ハムのオーブンで焼き色が付くまで焼いてくれるサンドイッチだった。おいしかった。
 
 [ヒッチ]
 ル・トラック乗り場は反対車線には見当たらず、5分位町の方向に戻ったスーパー
マーケット前にあった。ところが、18:00〜18:15まで待ったが来ない。(ヤバイ終わ
ったか。)陽が落ちていく。ヒッチにスイッチしようと思った矢先、目の前に50才代
の上品なカップルの乗った小型フォードが止まった。おばさんが、
 "トラックは4時で終わり。私たちは、パペーテまで行くので乗りなさい。"
 と言ってくれた。ラッキー!。途中、走り出して5分もしないうち、
 おばさん「今晩予定がある?」
 TAKT「ないけど。」
 おばさん「ちょっと花を見ていきたいのだけど、いい?」
 TAKT「SURE!」
 なんて、(乗せてもらっているのに)丁寧にことわられた後、広い花屋へ立ち寄った。
おばさんが、鉢植えを2つ買っていた。しばらく歩き回って見ていたが、珍しい形の
花が多い。こういう何気ない地元の生活の一端に触れられてチョッピリ感激。
 パペ−テの教会前で降ろしてくれた。お礼をいうと夫婦共にさわやかで優しい笑顔
で去っていった。町は小さく道も簡単どこで降ろされても迷う心配はなかった。。海
側の広場では屋台のワゴンが10数台止まっていた。腹があまり減っていないのでシャ
ワーを浴びにHOSTELに戻った。
 
   [うわさのピザ屋と声の主]
 HOSTELの部屋には、今朝会った学生コンビがいた。3人共、夕方に買い食いしてい
たので、ちょっと小腹を空かせてから屋台のピザを食いに行った。彼らの持っている
ガイドブックによると本場のピザで奇麗な姉チャンがいるそうだ。それぞれ違う種類
のピザを頼み、それぞれ1/3に分けて交換した。味は塩辛く、生地も固い、本場と
いうのは嘘っぽいがおいしい。姉ちゃんは本当に伊国系で奇麗だった。
 22:00  久々に泳いで疲れた。眠い。部屋に帰ると今朝早く暗闇で起こしてしまった声
の主はイタリア人のおばさんで、すでに寝ていた。声だけは若かったのに〜〜っと、
勝手だが、ちょっとがっかりした。
 
 [ホテル情報:TEAMO Hostel]
 ドミトリー1200PFor1500PF、D2800PFor3000PF、T3500PFor4000PF。空港歓迎無料、
送迎800F(深夜便の為)、荷物預かり100PF。ドミは木の二段BED×3ヶ。10畳。なぜ
か部屋の床から木が生えている。又、部屋内に洗面台とトイレ・シャワーがある。
           住所:8,rue du Pont Neuf PAPEETE TAHITI
           (TEL.424726-420035) (ピックアップ次第なので不要と思うが...)
 
 第四日目:1996年12月22日(日)
 [怠惰な朝]
    8:00  起床。日焼けと筋肉痛が痛痒い。
 10:00  チェックアウト。追加で、荷物預かり代100PF、シャワ−+送迎代800PFを
支払う。宿泊料金はこの島内では安めの設定だが、深夜便が多い事を見越しての料金
設定と宿のおばあちゃんの(金くれなきゃ面倒見ないって)説明の仕方が感じ悪い。
自分は翌朝02:35発なので800PF払ったが、学生コンビは、0時の便なので荷物預か
り代だけ払って夕方にル・トラックで空港へ行くことにした。午前中は予定がない。
3人で日曜にクーラーの効いている数少ない店=マクドへ行った。ここのマクドは店
員が多すぎ1レジ当たり2人、計8人の女子高校生が肩を寄せ合ってヒマそうにしゃ
べっていた。時給は多分安いんだろう。昼までぺちゃくちゃやっていると、店が混ん
できた。初ダイビングへの期待と不安に気が急いていた為、12時半頃に学生コンビと
別れた。
 
    [初の体験ダイビング]
 実は、事前準備として、4年前に友達からCカードのテキストを借りて読んだり、
10月頃にNHKの入門用ビデオを借りて見たりしていた。昨日の小屋に1時間以上前か
ら来て待っていた。客は自分と地元の40才代の英語ができるおばさんだけだった。キ
ャンセルが1人出て、しばらく待たされた。貸してくれた装備は、タンクとベストと
グラスのみ、ウエットスーツはなかったので、体温の保温を考えTシャツ着て潜った。
たんたんと準備が進み。出発前の説明は少しだった。ゴムボートで5分行った珊瑚礁
に碇を降ろしてからサインの説明をしてくれた。“O.K.、TROUBLE、YOU、I、UP、DOWN、
LOOK AT”の7種類。続いて、耳ぬきの説明。マスクの内側に唾を塗り、海水で洗う。
で、いよいよ、海に入る。最初いきなり5mまで潜ったが、耳が痛くなり、 TROUBLE
サインを出した。慌てていることも原因だろうが、耳抜きが巧くできない。結局、中
性浮力を3m位でとってもらい珊瑚礁の崖を徐々に鳴らしながら降りて行くことにな
った。昨日見たもの以外に直径が掌の2倍位の棘無の硬いウニや、口が青色をした巨
大な貝、青いヒトデ、マグロ、棘々の魚(触るな!)、上下のヒレが長い魚etc.を見れ
た。楽しくてあっという間の45分だったが、最後の方はタンク内の乾燥空気で、口の
中がカラカラになり、肺が裏返しに飛び出るかと思うほど苦しかった。ボートに上が
ってから、500ccの水1本を一気に飲み干したが、喉の痛みは翌日まで引きずった。
 小屋に戻って、借り物やTシャツを水で濯いだ。着替えながら、昨日から海パンの
中にしこんでいた(もちろん濡れないようにパックキン付きビニールに入れていた) 
5000PF札を取り出した。初DIVEの記念なのかA4サイズの証書を貰って、4000PF払っ
て、ドゥミと別れた。
  ちなみに、ここで入手出来るCARDはCMASのみ。フランス語出来ない自分にとって
は逆立ちしても無理だと思った。
 
   [ラーメン]
 17〜18時まで宿のソファーで仮眠した。泳ぐ・潜るは体力が要るし、やはり初DIVE
ということで緊張していたんだろう。20時頃から、プラプラと屋台を物色していると
日本名の船の前にたばこ吸っている日本人がいた。話かけると、その船は気象の調査
船で、ここから2週間かけて南極へ行くのだという。「いいなあ。」と言うと、「何
もないよ。」とつまらなそうな返事が返ってきた。仕事だと南極に対するイメージも、
感じ方も違うんだろう。ここは、日本人ハネムーナーが多い。毎日同じ事を聞かれて
いるのだろう。ほどなく、別れた。屋台では、中華が10台中半数を占める。メニュー
の中でChao mien=焼きソバだけはわかるが、喉の奥がまだヒリヒリ乾燥している為、
+汁が欲しい。矢野顕子じゃないが、ラーメンが食べたくなった。一番人が並んでい
る店で、英語のメニューがあり、Chinese Soup Specialの英語説明にNOODLEを見つ
けた。待つこと30分、揚げ麺の上にそれ以上の量の野菜と海鮮が山盛りになっている。
900PFだが、それなりの価値はあった。日本でこんなに具がタップリのラーメンは食
べたことがない。
 空港へのPick Upの時間までは、ヤモリの這う自販機で買ったジュースを飲みなが
ら、絵葉書を書いた。


太平洋周遊・初めての南米
世界あちこち旅日記